ブログでは、毎日のように勇ましい事を書いている。
しかし、その実、毎日を泣いて暮らしている。
身近に、人生のお手本なんかいない。
でも、こんな私を、応援してくれる人はたくさんいる。
こんな私に、期待してくれる人もいる。
しかし、共感をもって接してくれる人はいない。
仕方がない。
そんなぶっ飛んだ人生を、自らの好んで生きているのだから。
だから、泣く方がどうかしているのだ。
しかし私は、生来、と言うか、厳しい生育環境にあったこともあり、寂しがりやで、泣き虫だ。
毎日が寂しいし、毎日が不安だ。
寂しさと不安に、毎日、真正面から向き合う。
寂しさと不安に震えている内は、涙なんか流れはしない。
ただ、茫然自失と震えているだけだ。
そんな自分を、トコトン、トコトン追い詰める。
トコトン追い詰めた果てに、やっと自分の中に希望を見出せる。
それは、こうまでしても、まだ生きてありつる事実とか、生かされてきた事実を、自分の中にチャンと認められた瞬間に訪れる。
その瞬間、歓びと感謝で、涙腺は決壊する。
なんでこんな生き方をするのだろう?
なんで毎日毎日、シンドイ思いをするのに、こんな生き方をするのだろう?
そんな疑問は、私の中にはない。
こんな生き方しかできないんだから、もう、仕方がない。
もう覚悟を決めて、この生き方で押し通す以外にない。
そうやって、どんな人生が歩めるか、自分の身で知るしかない。
理屈じゃないんだ。
私自身が、私自身の奥深いところで、そんな生き方を猛烈に欲しているんだ。
過去に紆余曲折はあった。
あまりに辛くて、ODもして、衰弱死を試みた。
あともう一歩で死ねた。
そんな事を二回繰り返して、二度ともすんでのところで、馬鹿らしくなって、止めた。
一度目は自力で這い出た。
二度目は救急車で運ばれた。
実は今も、フッと死の誘惑に駆られる瞬間がある。
忍耐が長引けば長引くほど、その頻度は高まる。
決して実行はしないが、そんな誘惑が心に立ちのぼる度に、嫌な気分にさせられる。
実に嫌な気分に。
自分への挑戦。
可能性の追求。
飽くなき前進の連続。
そんな日々は、自分の中に溜まっていた色んなものを、私の実感の上に叩き出してくれる。
見たくない!
嫌なんだ!
弱々しく、汚らしく、人を不幸にする以外、何の効能もなさそうな自分と向き合うのは。
こんなものを、自分の中のこんなものを、たった一人で見つめ続けなければならないなんて、苦しくて仕方がないじゃないか!
目を背けたくなるのだが、背けていては、前には進めない。
私の良き部分も、悪き部分も、全ては私の中から出ずる。
それらを余すことなく舐め尽くし、その上でなおかつ、私の可能性を見つめ、信じ続ける。
これができるからこそ、他者の中の可能性をも信じることができるんじゃないか!
自分をどこまでも追い詰め、厳しく見つめる。
それは、他者を見透す力を養うことになっているのかもしれない。
だから、毎日泣こうが、苦しもうが、私はこの生き方を止めることができない。