先日、二回にわたって開催されたセミナーなんだけど、昨日、その総括的な話し合いを持った。
その中で、私の話が、思わぬところで思わぬ人の胸を打っていた事を知った。
ヘェ~、あの人がそんな事を!

これを契機に、あのご家族が、そして娘さんが、少しでも良い方向に向かってくれればと祈る気持ちだよ。

その話し合いで、一番の関心を集めたのは「覚悟」だった。
私の父親ぐらいの、人生の大先輩から、あなたが模範だ!あなたが模範となるしかないと、大いに持ち上げられた。
そのために、もっと大胆であれ、とも。
このような理解者が身近にいて、私は本当に幸せ者だと思う。
と同時に、もっともっと峻厳に、剣豪の修行の如きひたむきさで、抱いた理想に向けて真っ直ぐに、一日一日を生きていかねばと、更に覚悟を深めた。


これも話し合いの中で出た話題なんだが...


若き日に、夢や理想を語る人は多い。
しかし、私のような年齢になっても、若き日と変わらず、いや、歳を経るごとに更に強靭になる心で、抱いた夢や理想に真っ直ぐ生きる人は少ない。
理由は簡単だ。
夢や理想を諦めて生きる方が、ずっと楽だもの。
現実と妥協しながら、昨日の延長線上の今日を生きるだけの日々の方が、苦しまなくて済むんだもの。
そして、目の前のチッポケな現実にしがみ付き、ホッと一息を吐きながら日々をおくるんだ。
心の中で臆病を飼いながら。

しかしそれでは、せっかく人間として生まれながら、あまりにももったいないと思うんだ。

地球上に数多存在する生物の中で、唯一、人間だけが、自分を向上させよう、成長させようという生き方を選択できるんじゃないか。
より良き人生を求めてチャレンジできるのは、唯一、私たち人間だけじゃないか。
ならば、その人間の可能性にかけて、自身の限界も突破して、どこまで成長できるものなのか、どこまでの人間になれるものなのか、私としての最高峰にチャレンジしたい。
これが、敢えて困難を選択し続けるという、私のライフスタイルの原点なんだ。

こんな生き方を、誰彼構わず押し付けようとは思わない。
でも、そんなべらぼうな生き方をする人間が、周囲に一人もいないなんて、とても寂しいじゃないか。
誰か一人くらいいるだろうと期待してたんだが、これが見事にいないんだ。
いないんだったら、私がなろう。
そして、何かあれば「あいつを見ろ!」と言われる人間になってやろう。
もうこうやって自分を奮い立たせ、一人、立ち上がる以外になかったんだ。


とても幸いなことに、苦労だけは人後に落ちないだけ、たらふく経験させてもらえた。
その上、更に幸いなことに、そうした経験で押し潰されるどころか、全てを余すところなく、自分の力にすることができた。
徹底して自分を追い込むという経験から、得難き智慧を得られた。

そんな稀有とも言える人生を歩めた私には、それだけの人生を歩ませてもらえた者としての責任が、この世界にあると信じている。
そうした人生を歩んだ者だけが成し得る仕事を、生きている間に成し遂げなければならないと信じている。


なぜそのように信じるのか?


私の未来を、心から信じて育んでくださった人たちがいるからだ。
私を心から信頼し、未来を託してくださった方たちがいるからだ。
そうしたありとあらゆる方たちの信頼に応える術は、そうした絶大な信頼のままに、自らを信じる。
そこにしか求められないと思うのだ。

だから私は、傲慢なまでに自分の可能性を信じる。
誰がなんと言おうと、私の未来を信じる。


何があっても、信頼の心には、不屈の闘志と覚悟で応える。
そして真正の覚悟こそ、現実を、時代を変革する唯一の力となる。
私の人生は、それを証明する為にこそある。


こんな青臭いままで生きるなんて、本当に大馬鹿野郎だと思う。
でもさ、本当にそうした人生をおくれたら、痛快だよね!