私には、一緒に生きていこうと約束した女性がいます。
もうかれこれ十五年以上の付き合いになりますが、その間、彼女も私も別の人と結婚し、彼女は二人の子どもも産んでいます。

きっかけは、妻と結婚する前に、妻から紹介されたこと。
とても大変な困難の中で生活していて、そこから引っ張り出し、少しでも幸せな生活が築けるようにと手を尽くしました。

以来、付かず離れずを続け、彼女は数年前に離婚。
私は昨年、離婚。
ずっと一番の理解者であり支援者として、私は彼女に寄り添ってきました。
妻も、私が彼女にかかわることだけは、口を挟みませんでした。

書けば山のようにたくさんのエピソードがあるのですが、思いっきり割愛!

今年八月の前半月だけ、一緒に生活をしていました。
ですが、彼女には思うところがあったようで、プイッと出て行ってしまいました。
彼女の思いも分かるので、連絡は取れるのに、敢えてメールも電話もしない毎日。
彼女の努力に水を差したくなかったからです。
正直なところ、彼女のいない生活は、辛かった。
最近になって、やっと、辛さをエネルギーに換えて、絶対に一緒に暮らせるようになってやる!と、頑張っているところです。

今月頭に、一度、メールがあり、今日、三週間ぶりに様子を知らせるメールがありました。

本当に頑張っているのですが、それでも私に会えない寂しさでリスカしそうになったり、死にたいと思うようになったり。
今でも、会おうと思えばいつでも会える。
彼女の所在も分かってるし。

でも彼女は言います。
会いたいけれど、会えば離れられなくなる。
それでも、少しでも会いたい。

私は、会うも会わないも、全て彼女に下駄を預けています。
そして同時に、私は心から信じています。
彼女とは、必ず一緒に暮らせるようになる。
どういう流れでそうなるかは分からないけど、必ずなる。
そこを信じられなくなって、私まで一時の感情で突っ走ってはいけない。
それは、彼女の思いも、わたしの思いも、全てをぶち壊すことになる。

実は、こうやってブログを綴るのも、メールはしないけど、ブログで私の近況を彼女に知らせるためです。
ココ、アメブロを彼女は知らないんだけど、ほぼ同じ内容を別のブログサービスでアップしています。
(この内容はアップしないけど)


彼女は解離性同一性障害と診断されています。
八人の代替人格がいるのですが、その主だったメンバーの心理分析まで病院で行われており、そう言った意味では、チャンとしたエビデンスのある、病院お墨付きの解離性同一性障害です。

私は本人も含め、八人の代替人格全てと親しくしています。
親しくを通り越して、幼い人格は私のことを「お父さん」と呼んでいますし、お互いを「マブダチ」と認識しあってる男性や、深い信頼と恋愛感情で結ばれている女性もいます。
そのことで、とても言葉では言い尽くせない出来事が山のようにあるのですが、詳しく知りたければ、私の別ブログでw

その彼女は言います。
あなたといる時が、一番心地いい。
ありのままの自分で居られる。
あなたのいない人生は、もう考えられない。

私も同感です。

私といる時だけ、彼女は完全に緊張を解き、あるがままでいられます。
彼女のあるがままとは、彼女本人でいるのはベースとして、他の連中も入れ替わり立ち替わり意識の上に登場する様を言います。
私はその時、誰が出てきたのかが即座に分かりますし、それが誰であろうと、適確に対応できます。
だから私の前では、誰も彼女本人のフリをする必要がないし、彼女もまた誰かのフリをする必要がない。
そのように居られるのは、この世界で、私と一緒にいる時だけ。

そして、そのような彼ら彼女らと一緒に居られることに、私も言いようのない心地良さを覚えます。

しかし、彼女の有り様は、この社会を生きていく上では、多くの問題をはらみます。
そんな諸問題にもかかわらず、彼女らしい生き方を確立するために、彼女は敢えて私の元を去りました。
必ず帰って来るから、信じて待っていて欲しいと言い残して。


顔も見えない、声も聞けない、まして抱き締めることもできない。
辛いです。

でも私は信じています。
私が私の今までの人生に絶対の「信」を置いているように、彼女と一緒に生きていくことになると、信じています。
そうなってこそ、私にはできる仕事がある。
そのための今までの苦労であったし、彼女との出会いとかかわりであったと信じています。


私も立派なACではありますが、別れた妻との生活で、精神障害を負った伴侶と生きる辛さは、骨身に沁みて知っています。
彼女との人生も、一緒になった後の方が、よっぽど大変なのに決まっています。

それでもです、彼女でなければならない。
よく彼女には言うのですが、貴女は私であり、私は貴女なんだと。
つまり、同じ宿命を背負って生まれてきた、運命共同体なんだと、そう言い続けてきています。
それが、十五年以上かけて導き出した、私たち二人の答です。


さぁ、いつ私は、彼女の苦しみに応えてあげられるのでしょう。
いつ、生活を共にできるのでしょう。
いつかは分かりませんが、私は時間の問題だと、堅く信じています。

それよりももっと大切な事があります。
そうまでして一緒になって、二人でどんな人生を紡ぎ上げていく覚悟なのか?
彼女の諸問題も含め、私たちの未来を開く鍵は、ひとえに私の覚悟にかかっているのだと思っています。