そもそも私は、自覚が足らないんだと思う。
今、こうして生きてありつる事実を、峻厳に見つめると、そのように思える。

自分の来し方をちゃんと見ているようで、その実は、とても大切な事に気がついていない。
そのように思えて、仕方がない。


私は、よほど幸運な男だと、自分では思っている。
昨晩、「人生、真っ逆さま」とか書いておきながらだw

理由は簡単で、今のところはたかだか半世紀の人生だけど、既に人の経験できないことを、しこたま経験できたからだ。
ま、人が経験したがらないことを、しこたま経験してきた、とも言えるんだが、そこは自ら望んで選択してきた結果なので、全くもって悔いはない。
逆に、本当に有難いことだと、心からの感謝ばかりを感じて仕方がない。
その自覚が、私の病んだ心には、良い薬となっている。


もちろん、私の独力で、こんな人生を歩めたわけじゃない。
多くの人が私に目をかけてくれたからこその、この人生。
一人だって欠けていたら、この人生はなかった。
応援し、支えてくれた人も、私をボロクソに言ってくれた人も、全て一人として欠けていては、この人生はなかった筈なのだ。


しかし、その事実の意味するところを、私は心の底からチャンと気づいているのか?
本当に理解しているのか?
そう考えると、実に心もとない事に気づく。


今後の、限りある人生を思うと、私はまだまだ向上しなきゃいけない。
もっともっと成長したい。
そのために、自分の中の殻を破りたい。

ここまでけちょんけちょんの人生を歩んできて、まだ殻なんぞが残っているのか?と思うが、ところがどっこい、まだまだ私の中には、高慢ちきな殻が残っている。
分かった風を装って、その実はチャンと分かってない私がいる。


そもそもが傲岸不遜な私。
傲慢とも言えるほど、自己肯定感が高い。
そこはイイ。
敢えてそういう姿勢を貫こうと、決めたことだから。
自己卑下に泣くぐらいなら、バカにされても良いから、馬鹿なぐらい自分は自分を信じてやろうと決めたから。
だから、そこはイイ。


でも、このままではいけない。
私は、大切な事に気付かなきゃいけない。
それが何かは、おぼろげには分かってる。
頭じゃ理解してる。
でも、心底、そこに想いが至っているのか?

まだまだだと思えて、仕方がない。
私は、まだまだ自覚しなければならない事がある。


その為の行動を、来週から始める。
もう、少しずつ始めてはいたんだが、本格的に行動を開始する。
つまるところ、自ら動き、語らなければ、何事も分からないんだ。
文献を読んだり、話を聞いたりして分かった風に気持ちでいるのが、一番危険なんだ。
だから動く!
行動こそが、私の無慈悲なまでの無自覚さの壁を破ってくれるだろう。


50年やそこらの、こんなチョット苦労したぐらいの人生で、安心してたまるものか!
納得してたまるものか!
そんな人生を望んで、生きてきたわけじゃない。
新しい価値を、新しい歴史を、未来のために創造できてこそ、私は本懐を遂げることができるはずなんだ。
そうしてやっと、生きてありつる意味を、本当に理解することになるはずなんだ。


その傲慢なまでの確信はそのままに、私は自分の無自覚な壁を破りたい。
さぁ、行動だ!