幼い頃の私は、よく夜空を見上げていた。


その頃の空は、とても澄んでいて、満天の星空を満喫できた。
ミルキーウェイってのが、本当に目で見て分かった。
今じゃ、肉眼で見える星は数えるぐらい。
それ位、空が汚れちゃった。


まるで私たちの心だね。


とまれ、よく夜空を見上げていた。


生きている間に、あの星まで行けるかなぁ?
絶対に行きたいなぁ。

そんなことを、いつも夢に描きながら、星空を見上げていた。


そもそも私は、この世界がどんな構造なのか、とても興味があった。
好奇心の塊だった。
そして、この世界も興味があったけど、あの遠くで輝くお星様の世界にも、凄く興味があった。

自然と自然科学一般に興味を持ち、色んな本を読み漁った。
科学知識が豊富になるにつれ、天文学にも明るくなり、あの星まで行くことは物理的な不可能なんだと知ることになる。
とてもガッカリしたっけ。


今は更に知識を増やし、思索を重ね、幼いときとは全く違う考えを持つに至っている。


私という存在は、私に限らずこの世界の存在は全て、この宇宙そのもの。
説明はとっても難しいので省くけど、私やあなたこそが宇宙そのもので、宇宙とは、私やあなた。
私は、この宇宙を構成する、チリほどにも満たない小さな小さな、極小の存在だけど、同時に、この宇宙そのものでもあるのだ。

私は、今でこそこの地球に存在している。
それはそのまま、あの星空のどこかで存在していたことの確かな証明となる。
そして、それはそのまま、この宇宙のどこにでも存在できることを意味する。


何を言ってるんだと言われそうなお話だが、私は真剣。
そして、ここまで思索が及んだとき、私は安堵した。


私が私である間は無理だけど、私は確かに、あそこだろうが、ここだろうが、存在できるのだ。
私を束縛するものはない。
私は自由だ。


人は、暗い気持ち、さみしい気持ちになると、下を向く。
足下の地面ばかりを見つめてる。
そうやって、極小の宇宙で呼吸する。


そういうとき、私は敢えて空を見上げる。
この地球の大地に足を置き、空を見上げる。
晴れでも曇りでも雨空でも、私は構わず空を見上げる。
確かに、この地球の上に存在する自分を知覚する。
それは同時に、この宇宙に存在している自分を知覚するに等しい。

そうすることで、私の中の小さな世界の壁を破り、私の心を、この大宇宙に解き放つ。
窒息寸前の心に風穴をあけ、胸いっぱいに宇宙を呼吸する。
私の胸の中に、満天の星空が広がる。


その時、私は我に戻る。