私は諦めが悪いです。
ほとんどのことに、さほど執着しない人間です。
が、こと人生に係わることとなると、途端に強欲。
自分と他人の関係なく、強欲。
絶対に諦めると言うことをいたしません。
絶対に諦めたくない!
絶対に諦めて堪るものか!
挫けそうになる厳しい現実を前にすると、知らずの内に、そのように口ずさんできた私なのです。
例えば...
せっかく建てた家も、家族が減って、その上、私も仕事ができなくなって、奥さんまで遠方にやらなければならなくなって。
とてもローンなんて払えるわけないわけで、とっとと売り払いました。
あれだけ勉強して、研究して、考え抜いてプランニングして、自分でビックリするような家が建って。
でも、手放すことには、少しも悔いはありませんでした。
結構な金額で売れてくれたのですが、それでも、利子を含めて五百万超の負債が残っています。
でも、家を一軒建てて、五百万くらいで済んだのなら、お安いモノですw
仕事もそう。
フリーランスのくせに住宅ローンが組めたんですから、仕事的には至極順調だったわけです。
順調すぎて、自分の身体をいたわる暇もないくらい。
身体を壊しては、少しいたわり、また壊して稼ぐ。
その無限連鎖。
仕入れの発生しない仕事だったので、売上金額=収入。
毎年の確定申告が、大変でしたw
それが、時の経過と共に、主要な取引先が倒産してみたり。
十数年も行ってきた仕事を、一言の断りもなく、訳の分からない理由で切られてみたり。
でも、やっちまったぁ~とか、悔しいとか、そんな気持ちは全くナシ。
あぁそう、てなもんです。
しかも仕入れゼロの仕事でしたので、仕事上の負債はゼロ。
これが一番嬉しかったりしますw
ちなみに、仕事を切られた理由は「おたくは仕事ができすぎるから」。
これ、褒められてますよねぇw
当然、食うにも困るし、色んな支払いにも困るんだけど、私の人生には昔から、不思議なジンクスがあるので、私の中では、きっと何とかなるに決まってるさと、高をくくっていたのです。
そのジンクスでは、私はチャンと筋の通った生活さえしていれば、必要なお金はチャンと降ってくるのです。
本当にいつもそうでして、必要なお金だけは、チャンと降ってくることになっている。
いつもお金には困り続けてきましたが、本当に必要なお金で困ったことがありません。
そんな若い頃からの経験が、山ほどあるわけです。
で、私の人生には、もう付き合いが6年にもなる精神科の主治医が頭を抱えるほどの問題が、山のようにあったようです。
今さら一々書くのが面倒くさいのですが、特にここ5年ほどの日々ときたら、挫折の連続だったわけです。
端から見れば、坂道を転げ落ちているように見えたことでしょう。
何度もジンクスのお世話になりました。
何度も生きるのを諦めかけました。
でも諦めきれずに、その度に、開き直ってきました。
しかし今も、こうやって生きてありつるという事実。
これこそが、私には未来があるという、確かな証だと、何度も自分に言い聞かせる。
その連続。
どんなに心が不安で揺れていようと、崖っぷちにに立たされたら、もう自分と向き合うしかないわけで。
素っ裸の自分と、向き合うしかないわけで。
こういう人生を選択したのは、紛れもなく自分なのだと、毎日のように自分に再認識させるわけで。
そのような選択をして、そして今日もまだ生きている。
もうそれだけで、私の人生、めっけものじゃないかと。
好きなように生きてきて、今日もどっこい生きている。
これは素直に凄いことじゃないかと。
そう自分に言い聞かせる、ここ5年ほどなのです。
ここまで我を通してきて、一度決めた信念を貫いてきて、今さら後戻りなどあり得ないのです。
明日がどうなるかなんて、心配する方がオカシイ。
この不条理の海を、一つの信念だけを胸に抱いて、あの方向に向かって泳ぎ続けようと決めて33年間泳ぎ続けたのだから、今さら展開や結果などを求めて迷う暇など自らに与えず、もう最期まで泳ぎ続けるしかない。
幸い、子どもの頃に刻み込まれたトラウマやフラバから生ずる「さみしい病」は、ここ一ヶ月ほどの自分との向き合いで、ほとんど克服できたと言えるほど、影を潜めました。
本当にありがたいと思っています。
若い頃に教わりました。
人生の上で起こる、全ての問題は、必ず乗り越えることができるって。
私の人生って、その言葉を何度も実地で確かめ続けてきたようなものなのに、今もまだ自分の前にそびえ立つ問題を前にして、自分の心のどこかに「本当かい?」などと疑ってみる、不遜な心もあるのです。
よくよく思い返せば、私の人生は、いつもこの「本当かい?」という疑いの心との対決であったように思えます。
その対決こそが、私という人生、そのもの。
あらゆる現実は、その心の投影にしか過ぎなかったのでは、とさえ思えるのです。
本日、ただ今も、こうして生きてありつるという事実。
その事実に、最大の歓びと感謝を覚えられる人間になりたい。
私は素直に、そう、思うのです。
ほとんどのことに、さほど執着しない人間です。
が、こと人生に係わることとなると、途端に強欲。
自分と他人の関係なく、強欲。
絶対に諦めると言うことをいたしません。
絶対に諦めたくない!
絶対に諦めて堪るものか!
挫けそうになる厳しい現実を前にすると、知らずの内に、そのように口ずさんできた私なのです。
例えば...
せっかく建てた家も、家族が減って、その上、私も仕事ができなくなって、奥さんまで遠方にやらなければならなくなって。
とてもローンなんて払えるわけないわけで、とっとと売り払いました。
あれだけ勉強して、研究して、考え抜いてプランニングして、自分でビックリするような家が建って。
でも、手放すことには、少しも悔いはありませんでした。
結構な金額で売れてくれたのですが、それでも、利子を含めて五百万超の負債が残っています。
でも、家を一軒建てて、五百万くらいで済んだのなら、お安いモノですw
仕事もそう。
フリーランスのくせに住宅ローンが組めたんですから、仕事的には至極順調だったわけです。
順調すぎて、自分の身体をいたわる暇もないくらい。
身体を壊しては、少しいたわり、また壊して稼ぐ。
その無限連鎖。
仕入れの発生しない仕事だったので、売上金額=収入。
毎年の確定申告が、大変でしたw
それが、時の経過と共に、主要な取引先が倒産してみたり。
十数年も行ってきた仕事を、一言の断りもなく、訳の分からない理由で切られてみたり。
でも、やっちまったぁ~とか、悔しいとか、そんな気持ちは全くナシ。
あぁそう、てなもんです。
しかも仕入れゼロの仕事でしたので、仕事上の負債はゼロ。
これが一番嬉しかったりしますw
ちなみに、仕事を切られた理由は「おたくは仕事ができすぎるから」。
これ、褒められてますよねぇw
当然、食うにも困るし、色んな支払いにも困るんだけど、私の人生には昔から、不思議なジンクスがあるので、私の中では、きっと何とかなるに決まってるさと、高をくくっていたのです。
そのジンクスでは、私はチャンと筋の通った生活さえしていれば、必要なお金はチャンと降ってくるのです。
本当にいつもそうでして、必要なお金だけは、チャンと降ってくることになっている。
いつもお金には困り続けてきましたが、本当に必要なお金で困ったことがありません。
そんな若い頃からの経験が、山ほどあるわけです。
で、私の人生には、もう付き合いが6年にもなる精神科の主治医が頭を抱えるほどの問題が、山のようにあったようです。
今さら一々書くのが面倒くさいのですが、特にここ5年ほどの日々ときたら、挫折の連続だったわけです。
端から見れば、坂道を転げ落ちているように見えたことでしょう。
何度もジンクスのお世話になりました。
何度も生きるのを諦めかけました。
でも諦めきれずに、その度に、開き直ってきました。
しかし今も、こうやって生きてありつるという事実。
これこそが、私には未来があるという、確かな証だと、何度も自分に言い聞かせる。
その連続。
どんなに心が不安で揺れていようと、崖っぷちにに立たされたら、もう自分と向き合うしかないわけで。
素っ裸の自分と、向き合うしかないわけで。
こういう人生を選択したのは、紛れもなく自分なのだと、毎日のように自分に再認識させるわけで。
そのような選択をして、そして今日もまだ生きている。
もうそれだけで、私の人生、めっけものじゃないかと。
好きなように生きてきて、今日もどっこい生きている。
これは素直に凄いことじゃないかと。
そう自分に言い聞かせる、ここ5年ほどなのです。
ここまで我を通してきて、一度決めた信念を貫いてきて、今さら後戻りなどあり得ないのです。
明日がどうなるかなんて、心配する方がオカシイ。
この不条理の海を、一つの信念だけを胸に抱いて、あの方向に向かって泳ぎ続けようと決めて33年間泳ぎ続けたのだから、今さら展開や結果などを求めて迷う暇など自らに与えず、もう最期まで泳ぎ続けるしかない。
幸い、子どもの頃に刻み込まれたトラウマやフラバから生ずる「さみしい病」は、ここ一ヶ月ほどの自分との向き合いで、ほとんど克服できたと言えるほど、影を潜めました。
本当にありがたいと思っています。
若い頃に教わりました。
人生の上で起こる、全ての問題は、必ず乗り越えることができるって。
私の人生って、その言葉を何度も実地で確かめ続けてきたようなものなのに、今もまだ自分の前にそびえ立つ問題を前にして、自分の心のどこかに「本当かい?」などと疑ってみる、不遜な心もあるのです。
よくよく思い返せば、私の人生は、いつもこの「本当かい?」という疑いの心との対決であったように思えます。
その対決こそが、私という人生、そのもの。
あらゆる現実は、その心の投影にしか過ぎなかったのでは、とさえ思えるのです。
本日、ただ今も、こうして生きてありつるという事実。
その事実に、最大の歓びと感謝を覚えられる人間になりたい。
私は素直に、そう、思うのです。