家庭をかえりみない、アルコール依存でギャンブル依存だった父。
ヒステリックに、子どもに当たり散らす母。
言葉で存在を脅かされ続けた日々。
当然、親の顔色を伺いながらの生活。
お母さんが怖かった。
同時に、お母さんがかわいそうだった。
お母さんを怒らせ、悲しませる私は、悪い子だった。
悪い子はダメな子。
良い子になって、怒られないようにしよう。
良い子でいて、お母さんが喜ぶ自分でいよう。
お母さんが、生活のストレスを吐き出す相手は、私。
存在を否定される度に、絶望的な自己存在感の崩壊に震え上がる私。
お母さんが喜ぶことで、私の存在は肯定され、私の欲求も満たされる。
自己存在の肯定と、欲求の充足のためなら、どんなに無茶な要求でも、私は懸命に取り組んだ。
お母さんに、献身的に奉仕した。
それはとても共依存的で、54になる今も、心のどこかに暗い影を落とす。
あのまま、母親との関係が、十代を通して続いていたら、その後の人生の風景は、かなり違うものになったことだろう。
だが、とても幸いなことに、私の十代は人間関係にだけは恵まれた。
母親との関係とは別に、とんでもなく多くの友人たちと、濃密な人間関係を築く機会を得られた。
小学生の頃、私の周りには、お節介なお母さんたちがたくさんいた。
私を家から引っ張り出し、色んなことを教えてくれた。
中学時代も良き人生の先輩に引っ張られ、同年代の仲間と揉みくちゃになって、色んなことを経験し、色んなことを勉強した。
高校時代もそうだった。
特に、厳しい練習で有名だったマーチングバンドでの訓練は、私の終生の宝だ。
そうした経験の中でも、いつも私は、息苦しさを感じていた。
人間関係に困惑することが多かった。
なんで自分はこうなんだと、いつも自分を責めていた。
またいつも、人が嫌がるようなシンドイ仕事を、率先してやる事も多かった。
そうやって献身的であろうとすることが、自己肯定感につながっていたように思う。
そうした意味では、たくさんの人たちと交わりながらも、私の姿勢は、どこか共依存的であったのかもしれない。
そんな私は、どこか私の母親と似たタイプの女性から、強い執着心をもって好かれることが度々あった。
私の母親に似ていたぐらいだから、メンタル面にどこか不安定さを抱える、今思えばそんな感じの女性たちだ。
ただ不思議なことに、私は本能的とも言える嗅覚で危険を察知して、器用に距離をとっていた。
中には結婚まで意識した女性もいたが、頭の中で結婚生活をイメージすればするほど、不幸な展開しか思いつかなかった。
だから、好きですの一言も言わないまま、彼女の思いを知りながら、敢えて距離をとった。
おそらくそうした嗅覚は、家庭で培ったものではなく、十代の濃密な人間関係の中で培ったもののように思える。
しかし、二回目の結婚で、私はそうした女性と一緒になる決断をする。
もの凄く苦しむことが分かっていたのに、敢えて。
それだけの覚悟を決めて、一緒になったつもりだった。
しかし、その生活の困難さは、私の覚悟を凌駕していた。
そして同時に、その結婚生活は、極めて共依存的だった。
妻は私に献身的であろうとした。
献身的であろうとする程に、その行動は常軌を逸し、私は苦しむことになった。
そんな苦しむ私を見て、妻はもっと苦しんだ。
苦しみの連続に、とうとう絶望に陥り、現実からの遁走を企て、私は自殺した。
奇跡的に助かったのだが、そのことで妻はもっと苦しむことになる。
その頃、妻は統合失調症と診断された。
互いの健康と生活を守るため、妻に半年もの間、入院生活を強いた時もあった。
あんなに辛くて、悲しくて、悔しい期間はなかった。
結果、妻を遠方に暮らす実の妹たちに預けた。
お互いを守るため、別居せざるをえなかった。
2年近い別居生活を経て、妻から離婚を切り出された。
とてもとても驚いた。
あれだけ私との関係に執着し、何があっても私から離れなかった妻が、自分から離婚を切り出したのだから。
その妻の心中を思うと、どこまでも私のことを一番に考えての決断だったのではなかろうかと、思えるのだ。
妻の中では、終始一貫、徹頭徹尾、私が一番だったのだろう。
色々あったが、結果として妻には、感謝しかない。
妻との生活、前妻との関係、などなどを思い返すと、私の方こそが、妻のそうした執着心に依存していたように思える。
妻の過剰な執着心、心に抱えた大きな闇は、確かに私を苦しめた。
だが同時に、そうした妻の想いに120%で応えようとすることで、私も自分の自己肯定感を満足させていた。
母親との関係で培った、限界を超えて奉仕する姿勢を遺憾なく発揮し、信じられないくらいの仕事を全うすることで、私は私を満足させた。
私は今こそ、共依存的な自分と決別したい。
それが現在の、最大のテーマ。
だから一人ぼっちで、とことん自分と向き合っている。
そうやって、孤独に震える自分を見つめている。
同時に、孤独に震える必要のない自分を、発見し続けている。
たくさんの涙を流した。
みっともない程、流し続けた。
今日も、心を大量の涙で洗った。
涙と一緒に、過去の呪縛は流れていった。
涙と共に、全ての経験が、喜びに変わった。
涙の向こうに、希望の未来が見えてきた。
共依存は、とても根が深く、難しい問題だ。
十人十色。
百人百色。
それぞれ、特殊な事情が絡まり合っている。
当事者一人の独力では、克服にかなりの困難を伴う。
ほぼ不可能では、とさえ思える。
私のように、50年かかっちまったけど、持ち前の忍耐力と内省力を存分に活かして、自己克服してしまう方が、よほどレアなのだと思う。
とは言え、私もまだまだ完全に克服したとは言えない。
おそらく、死ぬまでこの問題とは向き合うのだろう。
そんな私だからこそ、描ける人生もあるはず。
そのために、私は生まれてきたはずなのだ。
そう自ら堅固に信じ抜くこと。
それが、自らに課せられた共依存性の問題を克服する、大きな大きな鍵なのだ。