本日二回目のエントリー。
今日も午後三時までまどろんで、過ごした。
昨夜は深夜まで胸が苦しく、なかなか寝付けなかったっけ。
寝付けないので、先のエントリーの下書きをしてた。
文章を綴るのが、楽しくてしかたがないんだ。
遅く始まった今日だが、先日から気になっていたお宅を、やっと訪問できた。
お父さんは84歳。
奥さまも80が近い。
この地域にあって、地域社会に長らく貢献し続けた大功労者。
暑い夏を過ごして、体調はどうなのだろうかと心配していた。
ちょうど娘さんが様子を見にきていて、娘さんにもお礼の挨拶をすることができたのは、幸いだった。
娘さんと言っても、私よりも年上なのだがw
84になるお父さんは、なぜか私が大のお気に入りなのだ。
あんたみたいな人に、会ったことがないと、いつも手放しで喜んでくれる。
私も、お父さんの最晩年にかかわることができて、本当に嬉しい。
この夏の暑さは、確実にお父さんの体力を奪っていた。
緩やかに、だが確実に、身体が衰弱してきているのが分かる。
自らの身体を張って、危険な職場にあっては部下の命を、そして地元地域を守り抜いてきたお父さんだ。
男の中の男とは、このお父さんのためにある言葉だ。
私は申し上げた。
お父さんは、もう何も心配する必要もありません。
何も憂う必要もない。
見事な晩年のお姿です。
どうか安心して、ゆったりと毎日をお過ごしください。
このお父さんとの間では、多くの言葉が要らない。
ただ、手と手を重ねれば、それでいい。
それだけで、全てが通じ合う。
私はこのお父さんの姿を、一つの人生の理想の姿と見ている。
「親父」から始まったここ数回のエントリーを、締め括りたい。
今まで綴ってきた人生を振り返り、つくづく思うのは、親のありがたさだ。
一面、非常に酷い親だった。
色んな意味で、厳しい家庭だった。
しかし、それも今思えば、私の選択なのだ。
私は確かな意志のもと、あの父親とあの母親を選んだんだ。
生まれる前のことは分かりはしないのだが、色んな出来事を総合的に勘案すると、そのような結論になる。
私が自分で選択した。
そのように考えると、一番シックリくる。
例えば、私の「人に尽くしたい」という思いは、明らかに「母に喜んでもらいたい」という思いに通じている。
私は、ただ素朴に、お母さんに喜んでもらいたかった。
私の存在が、母への祝福になりさえすればよかった。
そんな想いが、今は市井に生きる目の前の一婦人に向けられる。
世のお母さんに喜んでもらいたい。
微笑んでもらいたい。
その想いは、幼い頃、私の母に向けた想いに、ダイレクトに通ずる。
その目的のためならば、身の犠牲を厭わない。
かえって、母親のために身を削ることができることが、私の大きな喜びだった。
そんな姿勢が遺憾なく発揮されたのは、二人目のお義母さんとの生活であったように思う。
私という人間の芯を成す想い。
幾多の経験。
それらが、自然のうちに、私を一つの目的へといざなう。
もっともっと、お母さんに喜んでもらいたい。
自分のお母さんだとか、そうではないだとか、そんなことは、もうどうでもいい。
この社会を育んでいるその主体者は、どう考えてもお母さんだ。
市井の一婦人たちだ。
この不条理渦巻く社会に生きる、一婦人たちだ。
そうした婦人たちに、心から安堵し、喜んでもらう。
私が若い頃から繰り返し行ってきたのは、つまるところ、そういうことだった。
そしてこれからも、さらに力強く、そうした行動を、私は貫いて行く。
私があの母親のもとに生まれたのは、結局のところ、この目的を果たさんがため。
我が母親の苦しみは、そのため。
今、私はそのように信じているし、事実、そうなんだということを証明する人生を、歩み切ってやるのだ。
そこにこそ、真実の親孝行があると、私は信ずる。