今日は午後3時頃まで、ウツラウツラしておりましたよ。
お昼頃に、一旦、起きて、遅い朝食。
その後、布団の上でまどろむも、浅い夢の中で、ずっと何かにせっつかれ続けてました。
おまえ、寝てる場合か?と。
後でシッカリと心のアフターケアを行いました。
モチロン、寝ていて良いんです!
まだ治ってないんだから。
私の親父のことを書きたいのです。
でも全部書いてると、トンデモナイエピソードの山になります。
なので、かいつまんで、ほんの少しだけ。
本当に自分勝手な人生を生きた人でした。
ただそれは、他人目線から見た場合に「自分勝手」に見えるだけのお話で、当人は至極真っ当な、人間としても立派な人生をおくったと心から信じている人でした。
山のようにトンデモナイことを起こしてくれましたが、その中の一つとして、反省するなんてことはありませんでした。
親父の記憶の中の人生に、汚点と呼ぶべきものは何一つない。
そんな親父でしたね。
私がまだ東京で暮らしている時、酔っ払う度に泣きながら「帰って来てくれ」と電話で懇願してきた親父。
最初の妻と娘を連れて帰ってくると、「帰って来てくれなんて、言った覚えはない!」と、妻の前で胸を張って宣言する親父。
妻がご飯の準備をしても、一切箸を付けなかったばかりか、自分の金で惣菜を買ってきては、焼酎をあおる。
当然、妻との仲は険悪になるわけで、私も妻の側に立って、親父を責め続けましたが、どこ吹く風とばかりに、一切無視をしてくれた親父。
あまりに酒の飲み方が意地汚かったので、呑んでいた酒を取り上げ、残っていた酒を捨てるフリを見せたら、「何をするんじゃァ!酒はワシの命じゃァ!」と、顔色を変えて罵声を浴びせかけてきた親父。
本当は捨てるつもりはなくて、ただ懲らしめたいだけだったのが、その一言で完全にキレた私。
両手を振り上げ、私に殴りかかって来るのを片腕で制しながら、黙って酒をシンクに流してやりましたっけ。
こう頭がんが発覚し、緊急入院、こう頭及び声帯摘出、頸部郭清及び永久気管口形成術。
いきなり声を失った上に、大手術だったもので、ベットの上で二週間絶対安静。
当人も心細かろうと心配し、あんな親父だったけど、片道二時間かけて、週に三、四回は見舞いに。
仕事が許せば、泊りがけで見舞ってましたねぇ。
あの時は、義母も末期ガンの診断から三年が経過していて、体力の衰えがひどかった。
しかし、妻が勤め先の倒産で家に居られるようになったから、そちらは妻に任せて、私は親父の病院へ。
親父が少しは人間らしいところを見せたのは、そんな時だったかなぁ。
頻繁に顔を出しては、何時間もベットサイドにいる息子に、感謝はしていてくれたみたいだった。
あの頃、よく親父には言い含めていた。
後、3年や5年も生きられると思うなよ!
一日一日を大切に生きなきゃダメだぞって。
親父が大病して、声を失い、高次機能障害になったおかげで、保険会社から死亡給付金相当額が支払われた。
おかげで、妻は義母の最期を看取るまで、母の側にいることができた。
葬儀もあげることができた。
色んな流転があって、妻の療養生活が実の妹さん達の元で始められるようになって、後には私と、ますます体が衰えてきた親父の二人が残された。
やっとこれで安心して死ねる。
私は親父と二人で、ヒッソリと死ぬつもりだった。
親父には悪いが、一緒に衰弱死してもらう予定だった。
親父にも、そう、宣告した。
したら、この親父が倒れて緊急搬送。
急性腎不全に重症肺炎で、多臓器不全一歩手前。
もうこうなると、死ぬことなんかできないわけで、ただひたすら、親父の入院先に通う生活。
奇跡的に多臓器不全の危機は回避でき(なぜ回避できたのか、医師もビックリだよ!)それから亡くなるまでの八ヶ月半、ずっと病院で快適生活。
そして、ナースもビックリの急逝。
その死顔の穏やかなことといったら、息子の私が笑っちゃうぐらいだった。
あの大手術から二年弱。
享年79才。
それが二年前。
私の主治医に言わせれば、親父は間違いなくアルコール依存症。
成る程と頷けることは多々ある。
大いに周囲へ迷惑をかけ、困惑させてくれる親父だった。
では、その人生はチンケなものだったかと問われれば、そんな事はなかったと、私は言える。
結果として、私と私の妹の成長を、経済面で支えてくれた。
特に私の場合、一緒に暮らしていたこともあり、親父の経済力には随分と助けられた。
例えば、親父が買った住宅は、賃貸物件として、我が家に定期収入をもたらした。
人間として見習うべき点は、仕事は真面目に勤め上げたことを除けば、ほとんどなかった。
でも、それで十分だった。
結果論だが、私が私としていられるのは、親父の功績が大きい。
あの破壊的な家庭環境が、今の私を育んだ。
高度経済成長の中で、金を家にもたらした。
おかげで、大学にも行けた。
私に多くの経験をもたらした学生時代を支えてくれたのは、親父の経済力だっだ。
一個の男として、魅力は皆無。
しかし結果として、親父はどこまでも親父らしく生き抜いた。
それが結果として、私が私らしく生きてこられた事実を支えている。
結論。
親父には感謝である。