テキトーにテーマを掲げて書いてみよう。

信じる。


私は信じている。
私という人間は、確かな目的をもって、自らの意志で、この時代の、この世界に生まれ落ちたことを。

私は信じている。
私は確かに宇宙そのものであり、宇宙は私であることを。

私は信じている。
全ての存在は、生物、無生物を問わず、目には見えない、手にも取れないが、確かに繋がりあっていることを。

そうしたことを、積極的な信じている。
私の意志の礎に置いている。


紆余曲折の人生を生きて、半世紀。
過ちもあった。
迷いもあった。
死のうともした。

全ては必然性の連鎖。
結果として、何一つ、無駄がない。
全てが、私を作るあげている。
信じて、貫いた自分を讃えたい。
私の心は、歓びに震える。


正しいかどうかを検証してみようなんて、そんなしち面倒臭いことをしてる時間はない。
何を信じて生きるのか。
何をもって意思決定の規範とし、人生の荒海を生きるのか。
生き抜いてみれば分かる。
私には、それこそが大切だった。


信じるには、勇気がいる。
所詮、生きても百年かそこらの人生じゃないか。
そこから得られる知見だけで、何が正しいとか、判断なんかできようはずがない。
だから、私はこれを信じて生きようと、自分で決断するしかない。
これこそ、私にとっての絶対と、覚悟を決めるしかない。
こと人生をいかに生きるかという命題の前では、信じるという行為に、条件などはつけられない。
信じると決めたならば、無条件に信じるのみだ。
人生の決断の中で、恣意的な余地を残すことは、自らを見失うことにしかならない。
それはあたかも、羅針盤も持たずに、荒波を越えようとするようなものだ。


私は、一個の人間に、宇宙大の可能性が秘められていると説く哲学を信じようと決めた。
決めたからには、その哲学の説くところの生き方に徹しようと決めた。
信じるとは、そういうことだと思った。


信じて、貫いて、33年。
今は歓びでいっぱいである。
悔いは毛筋ほどもない。


信じる。
それは生き方そのものだ。