今日は、作業所に行ってきたんです。
もう、行く前から憂鬱。
起きるのがイヤ!
向かう道すがら、胸の圧迫感がどんどん強くなる。
何でなんだろう?と思いながら、作業所に。
ゴボウ茶の袋詰めを行った後は、他の男性利用者と、雑談に興じていました。
雑談なんだから、少しは気が晴れて、胸が楽になるかなと思いきや、全く楽にならず。
なんか重くふさがった胸を抱えて、家路につきましたとさ。
今日もね、ココに来るのに胸が苦しくて、困ったんですよ。
スタッフに語ります。
そういうお話を聞くための常駐スタッフもいますから、声をかけてくださいね。
と、声かけをしてもらいました。
エェ、そういうスタッフがいるから、ココにしたんですけどね。
明後日は通院日。
主治医にもこの状態を話しておきましょう。
ま、様子を見ましょう、ぐらいしか言ってもらえないだろうなぁ、とは思うのですが。
明日はゆっくりと休みましょう。
今日のお昼も、頭は「もっと休みたい!」って言ってたもんなぁ~。
私を苦しめてくれる根っこが、まだ心の中にあることを自覚しています。
と同時に、そうして苦しむからこそ、頑張れる自分であることも自覚しています。
どこか逆説的ではありますが、もし私が何も苦しむ必要のない状態ならば、こんなには頑張らない。
なんの問題意識も持たず、人の痛みも理解できない、のんべんだらりとした生活をおくっていたことでしょう。
私は、いつでも、なんでも、「なんのため?」という問題意識や目的意識がなければ、頑張らない人間です。
そして、私が経験するあらゆる苦しみには、その「なんのため」という目的が明確にあると、信じています。
しかし、苦しみに怯えている間は、決してその目的は見えない。
本音で「苦しめてよかった」と言える状態にならなけりゃ、見えない。
そうなるためには、もの凄い自己肯定感が必要。
その自己肯定感を支えるためには、誰が何と言おうと、自分だけは自分を信じてやろうという覚悟が必要。
透徹した覚悟の上に、始めて自分の存在を確認できる。
でも、その覚悟って奴が大変で。
側に誰もお手本になってくれる人なんて、いないわけで。
だったら俺が、そういう覚悟を必要としている奴らの、お手本になってやろうという、傲慢ともとれる、利己主義を超克した覚悟が必要で。
でも、絶対にこんなもの、誰にも理解されないわけで。
よって、やはり孤独なわけです。
しかたがないよね、先頭を走り続けるって、自分で決めたんだもん。
今日は、近々行われるセミナーの打ち合わせがありまして、皆の前で、私が発表する原稿を読み上げました。
もうね、途中で読むのを止めてやろうか!と思いましたよ。
一部のスタッフから、明らかに嫌な空気がたちのぼってまして、おかげで空気ぶちこわしです。
他のスタッフから、抗議の声が上がります。
その方も、色々と意見を抱えてたんですね。
「この際だから、洗いざらい話します」と、勇気を出して、声を上げました。
私は、その方の意を汲んで、もう少し分かりやすく問題の所在を語りました。
厳しく語りました。
でもね、覚悟を持たない人間の心って、そう簡単には変わらない。
私は、その覚悟を促そうとしたんだけど、どうにも素直に受け取らない。
ま、もうそこまで言えば、後はその当人の意識の問題です。
やるべきことをやり、言うべきことを言ったのだから、これでいいのです。
そんなこんなの、苦しい思いをしたり、悔しい思いをしたりの間に、自分の心と厳しく対峙して、今日もトラウマのケアをしたりして。
お昼に起きて、たった半日の活動時間なんだけど、色んな事があったなぁと思える一日でありました。