タイトルの通り。
来るセミナーに向けて、原稿を書きました。
原稿量から言って、たぶん10分ぐらいの内容。
早速、大先輩のところにもって行きまして、読み上げました。
読み上げた上で、感想と指摘をいただきました。
実際に人前で読み上げてみるという作業、地味にとっても大切です。
書き出しはこうです。
お前なんか、お母ちゃんの子じゃない!
お前なんかを産むんじゃなかった!
泣くな!泣きたいのはお母ちゃんだ!
私は幼い頃、母親から罵られながら、育てられました。凄いねとか、かわいいねとか、言われことがありません。一緒に遊んでもらった記憶も、全くありません。しかし、私の母は、決して私が憎くて、その様に振る舞ったわけではありませんでした。
思いっきりメンタルな内容ですねw
家庭機能が不全だった状態を、サラッと書いてみました。
問題は、こういう書き出しで、どういう着地点を設けるか、です。
それは最後の最後まで悩んだ、と言うか、敢えて考えないようにしていました。
盛り込むべき内容だけを、ここ一週間、考え続けていました。
その内容は、起承転結を踏まえ、無理なく、コンパクトに、かつ、分かりやすく書けたと思います。
(まだ若干、手直しを入れるけど)結論部分は、現在の生の自分の姿をぶつけるしかないんじゃないかと思っていました。
その為に、ここ一週間以上、自分の心と対峙してきたつもりです。
そして、本番までまだ日にちがあるので、私の心が変わる可能性がある。
つまり、本番までに結論部分の内容が変わる可能性が、まだあるわけです。
不幸な生い立ちを、ただ不幸だったと書いたところで、誰の得にもなりません。
普通ならとても生きづらい人生になるはずのところを、こうなったんだよって書くならば、なぜそうなったのか、その理由を簡潔、かつ、明解に語らねばなりません。
もちろん、あぁ、なるほど、そうだよねと、素直に理解してもらえる理屈でなければなりません。
事実を克明に描きすぎては、話が明後日の方向に飛んでしまいます。
簡略化しすぎると、今度は嘘になります。
長くなると、誰も聞かなくなります。
そして、これが一番大切なことですが、話の内容と、話し手の姿が一致していないと、説得力を持ちません。
なので、原稿の内容も大切ですが、その内容を書いている私の姿が一番大切!
そのために、今後も私は、自分と鋭く対峙し続けるのです。
話は突然変わるのですが...
私の中から不安や孤独感、焦りが影を潜めるようになったからでしょうか。
睡眠時間が短くなってきているようです。
もちろん、まだ眠剤は服用しています。
サイレースは2mgだし。
トラウマ退治が、睡眠の改質に繋がってきているのかも知れません。
まだハッキリと断言できる段階ではないですが、よい傾向だと喜んでいます。