前のエントリーでも書きましたが、もの心がつき始めた時には、雨あられのように、母親から、私の存在を全否定される言葉を、度々浴びていたようです。
私の記憶に残る限りの映像では..、
父親が家の有り金を全て持ち出して、ギャンブンルに行く。
それを母親が、台所から包丁まで持ち出して、さぁ私を殺してから行け!と泣き叫ぶ。
そんな母親を突き倒して、後ろも振り返らずに父親は家を出て行く。
母親は泣き崩れていました。
そりゃそうです。
生活していくためのお金が、家に残ってないのですから。
そして育ち盛りの私と1歳下の妹がいたのですから。
私はお腹が空きました。
ただでさえ、まともの食事にありつけなかった家庭です。
その空腹感は、どれ程のものだったでしょうか。
私は、泣き崩れて、心ここに在らずの母親に
お母ちゃん、お腹すいた
と、恐る恐る尋ねました。
即座に、母親の怒声が響き渡りました。
お前は、お母ちゃんがどんな目にあったのか、わからないのか!
お前は、お母ちゃんの気持ちが分からないほどの人でなしか!
お前はお母ちゃんの子どもでも何でもない!
お前なんか、産むんじゃなかった!
この人でなし!
空腹感は何処へやら。
ただただ、母親をさらに悲しませてしまった恐怖。
怒らせてしまった恐怖。
母親を悲しませてしまった情けなさ。
恐怖と後悔と、僕がいけないんだという自己否定と。
そんな色んな感情が、渾然として心の中を駆け巡り、ただただ立ち尽くすしかありませんでした。
これが唯一、私の中に残っている記憶です。
他の記憶では、自分の意識を高いところに置き、怒られている自分を上から眺めながら、あ~ぁ、あの子、かわいそうにと、自分を見下ろしていた記憶もあります。
また、私の妹が、なんでそこまでお兄ちゃんをひどく言うのか?と、とても鮮明に記憶していてくれた事件を、数年前に聞きました。
私の記憶の中には残っていない、恐らくは、私の中の私が持っている記憶なのだと思います。
妹の話を聞いて、それは背筋が凍る思いを飛び越えて、完全に生きた心地がしなかっただろうな、と思うような出来事でした。
三つ子の魂百までも、とはよく言ったもので、その時に心に刻んだトラウマと、今頃になって真剣に向き合う毎日です。
今こそ、このトラウマを消化して、自分の血肉にしたい。
そう思っています。
その母親も、私が25の時に亡くなりました。
もう29年も経ちます。
私の心の中には、母親への恨みもつらみも、完全にありません。
彼女は、あまりにも辛い思いを一人で抱え込んでいました。
私はそんな母親が、かわいそうで仕方がありませんでした。
必ず親孝行して、喜んでもらいたい。
受けた仕打ちとは裏腹に、私の思いは、母親への愛情でした。
その思いが、私を取り囲む多くのご婦人方への想いに通じているように思います。
世のお母さん方への想いに直結しています。
だからでしょう、若い頃から今に至るまで、私よりずっと年上のご婦人からは、いつもいつも応援を頂き、支えていただき、愛され続けたきました。
本当に感謝しています。
そんな私のまかが54年の人生で、母親孝行を成し遂げられた瞬間が訪れました。
その母親とは、別れた妻の母親です。
出会った頃には、重度の統合失調症。
その後、認知症を発症。
その上、糖尿病。
さらには末期ガンの診断。
お母さんの為に、家を建てました。
お母さんの血糖値管理のために、私が三食の用意をしました。
全ての通院に、私が付き添いました。
ガンが骨に転移した時には、何度も何度も、お母さんの背中をさすり続けました。
医師も奇跡と驚く三年半の延命を果たし、娘に添い寝をされながら、安らかに息を引き取りました。
ほの直前には、勿体無くも、私に対して命懸けのお礼の言葉をいただけました。
私は妻のお母さんのおかげで、何一つ悔いのない親孝行を、始めて経験できました。
親の恩に報いることの大切さを、体当たりで教えていただきました。
そんなお母さんに、感謝の気持ちは尽きることがありません。
このお母さんのおかげで、思いもよらないことでしたが、実父にも最高の親孝行ができました。
話を元に戻しますが、私は実の母親から、存在を全否定されながら育ちました。
ただ周囲の人間関係に恵まれ、近所のお母さんたちに愛され、いびつではありましてが、社会で独り立ちできる程に成長させてもらえました。
今もメンタル面に、大きな大きなトラウマは抱えていますが。
今の私は、私を地獄の苦しみに叩き落としてくれた母親と父親に、心から感謝しています。
私はこの両親の元に生まれたから、波乱万丈の人生を歩めたのですから。
他の人では持ち得ない、類い稀な能力も身につけることができました。
人の心を思いやる強さも、身に付けることができました。
私の人生は、まだまだこれからです。
私がどこまでも、いよいよ私らしく生き抜いていく。
それこそが、私の両親への最高の親孝行になるでしょう。
今まで私に関わってくれた多くの無名のお母さんたちへの、恩返しになるでしょう。
それを必ず実現したい。
そのために、私はますます私らしく、自分のトラウマとトコトン向き合ってまいります。