やぁやぁやぁ、今朝、正確には午後の2時頃まで、ずっと夢でうなされていたぱこちです。
いつものことではあるんだけど、おかげでさ、眠りが浅くてさ、堪らんわけですよ。
寝るとうなされるというか、〆切に追われていたり、頑張れば頑張るほど袋小路に迷い込んだり、都度、夢の内容は違うんだけど、寝るのが怖くなる。
でも頭は眠くて堪らないから、寝る。
うなされて、半覚醒状態。
また寝る。
またうなされて、半覚醒状態...
こんなことをエンドレスに続けるのが、私の睡眠なのですよ。
正直、熟睡したいッス!
その辺に熟睡が落ちてないっすかねぇ~(;´д`)トホホ…
そんな私の熟睡対策が、良質なオーディ機器を使った音楽再生なのですよ。
CD3枚にクラッシックの名曲(例えば「運命」の第一楽章だけだったり)がギュッと詰まってるアルバムをパソコンに取り入れているんだけど、それを聴きながら、床の上で大の字になって追加睡眠!
これだとうなされない。
でも普通、夜中にスピーカーから再生させられないじゃん!
だからこの手は、日中に限られるのですよね(;´д`)トホホ…
オジサン、困っちゃう!(@Д@;
それでも頭が重くって(台風の影響で気圧が下がってきているのも影響していると思う)、近所の喫茶店にフラ~っと。
音楽を聴きながら、本を読んでいたのです。
読んでいたのは、コレ...
美しすぎる物理学者として有名なリサ・ランドール博士の「ワープする宇宙~5次元宇宙の謎を解く」です。
5年ほど前、夜中にNHKアーカイブで見た博士の講演に感動し、買い求めた本です。
「人生、諦めない限り、不可能なことはない」と訴えていた博士の言葉と姿が印象的でした。
その講演内容や博士の姿に勇気をもらったんですけど、この本、買って5年も経とうというのに、まだ読み切ってません!(@Д@;
途中の素粒子物理学の章が難しくって難しくって、思考停止に陥っちゃいました。
読むのを途中で投げ出しちゃったのは、ドストエフスキーの「罪と罰」以来じゃない?
あの時は「この本を読んでいたら、俺、自殺するかも...」と思うぐらい没入しちゃって、怖くて止めたんですけどね(2回挑戦して2回とも挫折)。
なのに今回、改めて最初から読み直すことにしたのです。
計画では5回は読み返す予定です。
1回目は流し読み。
3回目ぐらいからちょっとしっかり読み。
5回目には、小難しい論理は脇に置いておいても、博士の言わんとする世界を少しは理解できるようになりたい。
そんな遠大な(?)計画ですヽ(´▽`)/
博士の多次元宇宙論、他にマルチバースという言葉もありますが、私にとってはヒジョ~に示唆に富んだ内容なのです。
私たちの宇宙が余剰次元の中に浮かぶ3次元世界であるならば、私たち自身もまた余剰次元を持った多次元的な存在なのではないか?
それとも、3次元の世界に生きるだけの、ただ時の流れに身を任せ、いつどうなるとも知らぬ未来に流され生きているような、それだけの存在なのか?
んなわけあるかい!
そう思ってるんです。
そんなこと考えてどうなる?とよく周囲には言われるのですが、私にとっては非常に大切な命題なんです。
なぜかというとですね...
もし私たちが、生きとし生けるものが高次元な存在であるならば、一見して時に流されて生きているだけのように見える私たちの過去も現在も未来をも、高次元な視点を持つことで見通せることができるのではないか?(私たちが普通に意識している感覚器や認識形式ではムリだけどさ)
それは「なぜこのような過去を背負わねばならなかったのか?」という疑問への回答をもたらしてくれるかもしれない。
「どの様に生きれば最善の人生を生きられるか?」という疑問への道筋を獲得できるかもしれない。
という、まったく物理学とは関係ないような哲学的な命題を追いかけているんです。
でもですよ、物理法則は決して私たちと無関係に存在しているわけではないでしょう?
ってか、私たちの生活は近代に入って発見された物理法則の恩恵を、山のように受けてるもん!(スマホしかり、カーナビしかり)
しかし、現在判明しており、正しいであろうと思われている物理法則だけで、私たちや、私たちが生きる宇宙を全て規定できるわけでもない。
はっきり言えば、全くと言っていいほど分かっていないことが分かった、と言っても全く言いすぎじゃない。
そして私は思ったのです。
現今の、そしてこれから解明されるであろう物理法則と我々の存在を、矛盾なくつなぎ合わせる「モノ」が、あらゆる存在の背景に有るのではないか。
この宇宙を貫く法則として、存在しているのではないか。
私の頭の中には、そんな着想が芽生えたんですね。
その一つの契機になったのが、この本なんです。
また友人の存在も大きな啓発の元になっています。
このブログ自体が、そういった着想に基づいて始めたものなんです。
(当初の内容とはずいぶん様変わりしちゃいましたけどねw)
私の、そんな着想が、正しいかどうかさえ、自分でも分からない。
でも、そんな突飛な着想が、宇宙や私たちの存在の真実につながっていたら、すごくない?
なぜ地球は存在しているのか?
なぜ遠大な時間をかけて進化してきた生命体は、人類と呼ばれる私たちを生み出したのか?
そうやって進化した私たちが、なぜ地球上の生態系を根本から破壊して気にも病まないような自殺行為を、平気で行えるのか?(現在の種の絶滅ペースは地球史上最悪なのだそうですよ。手を打たねば私たち人類も含めて、ほとんど全てが滅びるんです)
それが人類に備わっている宿命と規定した場合、その宿命の転換は可能か否か。
可能ならば、どうすれば転換できるのか?
せっかく人間として生まれてこられたのだから、私はそれを知りたいし、それを知りたいが為に、敢えて人から無鉄砲とか極端とか言われるような生き方をしてきたつもりです。
1回こっきりの人生だもん。
所詮、誰も責任とってくれないもん。
だったら好きに生きるさと、開き直って32年。
紆余曲折の32年でしたけど、その紆余曲折が、私を夢の中で追いかけ回しているのです。
理由は簡単。
私が自分の未来を信じられていないから。
不安を抱いているからこそ、過去の記憶に悩まされ続けている。
人智で未来を見通すことは、私の知り得る限りでは不可能です。
せめて人生がサイコロの目のように六面体ならば、確率論も成り立つやもしれませんが、いかんせ、人生には不確定要素が多すぎる。
勘案すべき定数(サイコロの面のようなものですね)が無限と言っていいほどある、とも言えるでしょうか。
だからこそ、自信を持って未来を見通せる目を得たい。
多次元宇宙論的な表現をすれば「より高次元な視点」を持ちたい。
そうやって、やっと、私は悪夢から解き放たれると思うのですよ。
