万策尽きる
思えばこの3、4年、本当によく耐えてきたものだ。
現在の家に転居して8年目の春。
義母と同居するために建てた家。
転居から時をおかず、義母が末期癌であると判明。
程なく骨転移。
愕然とするも、懸命のお世話。
糖尿病、統合失調症、認知症を抱えた義母のお世話には、経験した者でなければ分からぬ悦びと忍耐が待っていた。
そして結果として3年半もの延命を果たした。
骨転移がありながら、痛みに苦しんだのは、ほんの一時期だけだった。
医師をして「常識ではあり得ない」と驚かせしむ。
そして義母は、妻に添い寝されながら霊山に旅立った。
その姿に近隣のご婦人方から「私もあのように死にたい」と、葬儀の場であるにもかかわらず羨ましがられること尽きず。
時同じくして、末期の喉頭ガンで声を失った我が父。
奇跡的に一命を取り留めた。
あまりに常識離れに大きくなりすぎた腫瘍のために、気道が閉塞しかかっていた。
処置は間一髪のところだった。
その父も、医師をして奇跡的と言わしめる2年の延命を果たし、眠るように旅立った。
あれほど黒かった肌は白く、柔く、集った親戚からは「最高の供養をしたね」と賞賛を浴びる。
2年前の3月、妻もまた乳ガンの再発による末期癌を宣告される。
下された診断は、余命2年。
しかし昨年8月、現在の主治医より「既に末期癌ではない」と末期癌終息宣告を受ける。
現在は3ヶ月に一度の投薬、半年に一度の診察だけの経過観察。
腫瘍は現在も多数、肝臓内に散在し、少しずつ大きくなりつつはあるという。
一番大きなもので5センチ大。
しかし肝機能は正常。
そして見事に、余命2年の坂を乗り越える。
放射線科医師を絶句させ、医療従事者が一人残らず顔を曇らせた妻の末期癌は、見事に医療の常識を打ち破った。
同時に、2年前の妻に顕著にみられた精神障害の兆候も、今日の姿を見る限りではほとんど見受けられない。
問えば、現在の主治医からも「落ち着いているね」と太鼓判を押されているそうだ。
ここの部分は分かる人にしか分からないところではあるのだが、実は癌以上に大変なことなのだ。
私は、このことが何よりも嬉しい。
このために、彼女を妻に娶ったのだから。
私自身も、何度も主治医から入院を勧められた。
発作的に命を絶ちかねない危険があったからだ。
先日、主治医に「これが私でなく他の人ならば、どうなるものなのですか?」とうかがった。
「遁走でしょうね」
あぁなるほど、一度は自殺を企図したのが、まさにそれだ。
現在も薬無しでは、全く眠れない状態は続く。
10年、20年、30年かけて症状を進行させてきた病気だ。
一生涯付き合うつもりで、治療に取り組む所存。
そんなわけだから、妻も私も仕事が出来るわけもなく、仕事が出来なければ収入があるわけもなく、当然の如く建てた家のローンは焦げ付いた。
現在、任意売却がほぼ成立し、売却を委託した業者より、今月中旬までの退去を要請されているところだ。
私はその事を主治医に相談した。
主治医曰わく「現在のあなたの状態で、新たな生活環境を一から作ることは不可能です」。
確かに物件を探すだけでも、現在の私には大事業だ。
そんな状況に業者が妻のケツを叩いた。
そして今日、妻が奈良から戻ってきた。
街に着くなり、その足で物件を探し、2DKの物件情報をもってきた。
家賃月額3万9千円。
午後には引っ越し業者もやって来て、14日の引っ越しで段取りが組まれた。
明後日には清掃業者が見積に来る。
同日、私は妻に連れられて、役所の生活保護課に相談に行くことになっている。
確かに、現状を冷静に捉えれば、生活保護費受給の申請が不可避ではある。
なので、最初に万策尽きたと書いた。
これまでの一切に不満はない。
ましてや後悔など一片たりともない。
やれることを全てやり尽くし、堪え忍ぶべきことには全て耐えてきた。
その上で、生活保護を受ける身になったとしても、私個人は全くそれでもかまわないと思っている。
しかし、やはり内心は悔しい。
幸いというか、これまでの経験から、それがどのように醜く、辛く、公言が憚られるような事であれ、真正面から取り組み、忍耐し抜いていくことで、全てを自身の力に代え、智慧に代えていけることを知っている。
今まで以上に忍耐の必要な日々が待っているのかもしれないが、それがこれからの私の仕事に必要な経験であるならば、喜んで堪え忍ぼうじゃないか。
今はそんな覚悟でいる。