今日のご近所の桜はこんな感じだ!


桜1


まだ満開にはほど遠いけど、今週末は間違いなく花見頃!
まぁ、花より団子の私ですし、一緒に花見をする人もいないので、こうやってブログに晒して、ヴァーチャル花見としゃれこんでます!www


桜2


桜3


対岸にあるカフェでコーヒーしてましたら、メジロが桜の蜜を狙って、盛んに枝から枝へと飛び回ってました。


桜4


ちょっと分かりにくいですけど、中央で、まさに花弁にくちばしを突っ込んでいるメジロの姿が!(* ̄ー ̄*)


春ですなぁ~!ヽ(´▽`)/




話は変わって...



先般「人の世話をやくまえに、まず自分のことだろう!」と、お節介なご忠告を受けておりました。
女房からも、そう言われています。


私の考えは、全く逆なのです。


周囲に尽くせない人間が、幸せになれるわけがない。


これが私の基本路線です。
信念です。


私なんぞが改めて言うまでもないですが、人は誰人であれ、一人で存在してきたわけではないし、今も一人で存在できているわけではありません。
数え上げたらキリがないほどのお世話を周囲に焼いてもらって、現在の自分があるわけですし、今もそうですし、これからもそうなのです。
私はその事を、身に染みて感じるからこそ、捨て身で周囲に尽くします。
そういう私だからこそ、周囲もまた、私を陰に日向に守って下さいます。


いちいち、ここで書くほどのことではありませんが、ここ数ヶ月間だけに限っても、どれだけ周囲が私の存在を大切に思って下さり、私の知らないところで手を尽くして下さっていることか。


今の世の中は、極めて利己的な生き方がまかり通ってます。
否、利己的でなければ「偽善」呼ばわりまでされる時代です。
何事につけ「無関心」であることが「良し」とされる風潮。
八億も借りて「たとえば熊手を買った」で、誰一人「デモしよう。辞めてもらおう」などと声を上げるものが出ない時代です。
選挙権を持つ我々を愚弄するかのような輩が、連日、テレビに表を晒していてもです。
そういう利己的な風潮、まだそのような風潮をもって「是」とする者こそ、私からすれば「偽善」であり「独善」です。


だからこそ、私は徹底して「周囲に尽くす」人生を歩み抜きたいと、心底、思っています。
決意しています。
そのためにできる事ならば、何でもしようと、心に決めています。


そういう生き方を貫いたら、どんな人生を送れるのか。
我が身を実験台に、私自身こそが知りたいのです。


せっかく人間として生まれてくることができたのです。
極めて科学的な眼でこの事実を観察するとき、それはあり得ないほどに幸運なことであり、喜ぶべきことだということが分かります。
人間として生まれてきた。
そして、人間として、今もまだ生きている。
この瞬間に込められた「価値」は、ただ「生きている」という事実だけで、計りようもないほどに巨大なのです。



その事に、日々、身の打ち震えるような感慨を覚えます。
悦びを覚えます。
その悦びが、さらにさらに私をして、周囲に尽くす行動に走らせるのです。


これを「偽善」と嗤う人の心を、私は悲しい目で見るのです。