オリジナルブログからの転載です。


私がトチ狂って送ったメッセージ
テルミーで利用したメッセージボード機能。
私の中で完全にその記憶がないと言うところが、自分でも恐ろしかったり、逆に示唆深いものがあると思わせられたり。
こういうこともあるんだと、自分で経験できたことは貴重だと思ってます。

でも、困ってるんです。
このメッセージボードに新たな投稿がある度に、私のアメーバアプリにフラグが立つので。
完全に意見交換の場、掲示板になっちゃってるんです。
私のしらんところでやって欲しいよねぇ。
でないと、私も読むよヽ(´▽`)/

こんな感じです。

Ameba1



フラッグをタップすると...

Ameba2




更にタップすると...


Ameba3



とまぁこんな感じでして、ここをタップすると、問題のメッセージボードにアクセスできます。
アカウントを削除しても、アメーバアカウントとのヒモ付けは健在なんですね。


はっきり言って鬱陶しい!
で、ちょいと自分の心に元気をチャージ!
そしたら「いっちょ内容をブログで晒したろかい!」という元気が出てきました。
ボードを立てたのは私ですから、いいでしょ?



iPhoneでちまちまとスクリーンショットを撮ったら、119枚になっちゃいました。
誤解が生じないように、ちょっとずつ画像の天地を重複させて撮りましたから。


でも、内容を読んで、晒すのを止めました。
なるほどねぇ~と思ったから。
コレ、晒しちゃだめだと思ったから。
甚だしく相手の心を傷つけることになるから。



あれほどエキサイトするには訳があるんだろうなぁと思っていましたが(向こうは向こうで、何このオヤジ、ヤケに興奮しやがって!キモイんだけどと、思われていたと思いますが)、なんだやっぱそうなんじゃんと思っちゃいました。

まぁ、私ごときにそう思われることが、あちらさんには嫌だと思うんですけどね。


やりとりの中で、私の自己愛の強さを指摘されていました。
あれがわけわからん!といった風でした。


私も好きで自分が好きになったわけではありません。
逆に小学校時代の私は、コンプレックスの塊で、ちょっとした周囲の言動にビクビクして生きてましたから。
そのコンプレックスの殻を破ってくれたのは、周囲の大人達でした。

よってたかって私に活躍の場を与えてくれ、思春期において、普通ではなかなかできないであろう数々の経験を積ませてくれました。
学区や行政区域の垣根を越えた同年代の仲間達と、切磋琢磨しあえました。
時には励まし合い、時には罵倒し合い。
気合いを入れるために、互いの腹に渾身のパンチを打ち込み合ったこともありましたっけ。
なかなか楽しいのですよ!( ̄ー ̄)ニヤリ
そんな私の行動範囲の広がりの故に、通っていた中学の先生から「他校の生徒と連むな」と注意を受けたことも。
校長室に呼び出されたこともありました。
色んな企画を立案し、実行に移し、冊子の刊行、イベントの開催、同世代の糾合などなど、東奔西走の6年間。
自己卑下に酔っている暇も与えられず、コンプレックスの塊だろうがなんだろうが、人の前に立ち、後輩を育成し、時には大人達を鼓舞しなければならない日常。

自分の無力さ、他人なら普通にできるであろうことができない自分に落ち込み、一人、家の中に閉じこもって、消え入りたいと思ったこともありました。
そんな時にも、必ず私を支え、励ましてくれる環境がありました。

まず10代において、このようにして自分の人格を形成するための基礎を築けた事に、非常に大きな意味があった思います。
そう、私は人間関係には本当に恵まれてました!

大学時代も、もっぱら社会の中で、まるで道場破りをするように活躍の場を求めました。


そうやって勝ち得た自己肯定感、プライドも、社会に出たら木っ端微塵。
色んな会社を渡り歩いてきた大先輩をして「色んな悪い奴を見てきたが、ここまで性根の腐った奴はいなかった」と言わしめる人間が、私の上司になりましたから。
彼は何かにつけて私を目の敵にし、鬱憤が溜まれば、私に罵声を浴びせたり、職場内での嘲笑の的にすることで、憂さを晴らしているかのようでした。
私の人生の中での、暗黒の3年間。
今以上、心身に異常をきたしていました。
しかし当時は、まだうつ病は怠け病。
精神科を受診するという選択肢は、環境的にも私的にもあり得ませんでしたね。

とまれ、私は麗しい人間関係の中で育てられてきたので(家庭は別よ)、課長ともなるとそれなりに責任もある立場だし、ちゃんとした人柄だから課長職にあるんだろうし、こうまで言われるのは自分に責任があるからだと、ずっと思っていました。
バカみたいに。
周囲からは、本当にバカにされてました( ̄▽ ̄)

でも、この経験がよかった!
私に「開き直る」ことを余儀なくさせてくれたからです。

所詮、周囲は周囲。
私のことなど、分かるはずもないし、分かろうともしないし、分かったところで責任をとってくれるわけでもない。
落ちるところまで落ちて、やっとそのように気づくことができました。
そう開き直れれば、何を言われても、コイツの言い分には糞ほどの価値もないと思えばいいだけの話。
ここに至って、やっと実社会の上で自分を再構築しはじめる機会を得られたのです。

同じ考え方で、地域社会の中にも、大いに活躍の場を求めるようになりました。

夏休み毎に、近隣の小学生を集めてはイベントを催しました。
企画、立案も児童達です。
私や私の仲間は、徹底してサポート役。
年長の児童が、低学年の児童をリードし、イベントの設営、運営、進行も可能な限り彼らの手にゆだねました。
児童の父兄はもとより、友人にも声をかけ、大勢の人に彼ら彼女らの成長の姿を見ていただきました。
そう、私が昔してもらったことを、そのまま、いや、それ以上の形でみんなに注ぎ込もうと力を傾けました。

その延長線上の活動として、地域教育をテーマにしたイベントを、地域を挙げて開催したこともあります。
地域内の中学校の校長先生にもご賛同いただき、体育館の利用を快諾していただけました。
チラシを作って、趣旨を説明しながら、地域内の一軒一軒をたずねて回り、参加を呼びかけました。
当日は大成功。
いつも手弁当でしたから、色んな意味で大変でした。
しかし、少しでも地域住民が地域教育について考える機会を作りたい。
その一心でした。

ある時はエイズの知識を持ってくださいと、AIDSの啓蒙イベントも主催しました。
児童の絵画展、地域住民の書道展、写真展、舞台上演などなど、沢山のイベントを企画・立案し、実行してきました。
新聞も編集、発行しました。(月一でしたがw)
いずれのイベントにおいても、私の役割はいつも裏方。
周囲から乞われるままに、何でもやりました。
ノーと言ったことがありません。
知識がなければ、知識をつける。
技術がなければ、技術を学ぶ。
力や経験がなくても、人の真似事でもいいからやってみる。
一人でも多くの人に会い、耳を傾け、お知恵をいただく。
こちらの意を伝え、力添えをいただく。
私にはできませんとか、力がありませんとか、そのような言い訳を言ってる場合ではありませんでした。
それでも怒られ続けました。
お前は何をやっているんだと。
後進を育てろと。
言われるがままに、逸材を見つけては叱咤と激励を重ねてきました。

十代、二十代、三十代と、そんな毎日をずぅ~っと続けてきました。
嫌でも自分を信じるようになります。
否、信じなければやれません。
オレにできるからこそ、オレは今、ココにいるんだ。
幾度となくそう呟き、自分を鼓舞し、折れそうになる心に新風を吹き込みつつ、前へ前へと進んできたんです。


確かに私は自己愛が強いです。
自分さえもが自分を愛おしく感じられなくなって、誰が自分を愛おしく思ってくれるのでしょうか。
また、私の強烈な自己愛、自己肯定には、高い志がその基礎にあります。
その為の十代でした。
自分一人の幸せを望んで、こんな風になったのではありません。
周囲の幸せのためにこそ自分はある。
そう思い定めて、その理想の実現だけを考えるが故に、自分を強く信じなければならない。
そういう人生をおくれることを、私は誇りとしています。
また、そういう人生に相応しい結果を残してきました。
もちろん、他人様の前で胸を張って言える事だけではありません。
嘲笑を浴びても仕方のないこともしてきました。
しかし、それとても、今となっては我が力です。
全てを自分の滋養に変える方式を、十代で学んだが故です。

ただ今は苦境のまっただ中ですが、それでも私の心の中は勇気でいっぱいです。
苦境の度が増せば増すほど、勇気も大きくなります。
喜びも大きくなります。

そのような人生を歩めている。
そのこと自体が、私の幸せなんです。