第2話   『上人の感涙』

 

  「できるだけ早く」は英語で as soon as possible と言いますが、これを略して英文メールなどにASAP または asap(エイエスエイピー または エイサップ)と書く人がいます。アメリカ人にも、その真似をする日本人にもいます。これは、一語でも短くすると安上がりになる大昔のテレックス時代(皆さんのお父さんかお爺さんが現役の頃)ならば意味のある略語ですが、今ではよくありません。a sap のように思われて語呂が悪いからです。sap は「まぬけ」の意味なので鈍感な人は別として、受け取った人の気分を害するのです。略さずに as soon as possible と書きましょう。asap と書いても差し支えないのは、非常に親しい間柄のみです。

 

  ついでに言いますと、この as soon as possible というフレーズは本当に緊急の時にだけ使うべきです。できるだけ by May 29(5月29日までに)のように期日を書くようにしましょう。as soon as possible を頻発すると、「計画性のない人だ」と思われてあなたの信用をなくすることになります。また「できるだけ早く」といっても受け取る人が感じる「緊急度」はまちまちです。このフレーズにしばしば出会う人は慣れっこになっていて「急がなければ」という気持ちが湧かないかも知れません。

 

このフレーズは、その前か後ろの文章が大切です。つまり、「緊急にして欲しい」ことの理由が、説得力のある文章で書かれているか否かです。理由付けに説得力があれば as soon as possible というフレーズが生きてきます。もっとも、相手もその緊急性を十分認識している場合ならばくどくど説明する必要もないでしょうが、よくあるケースは、理由をあまり述べずにいきなり as soon as possible と書くことで、これが一番いけません。

 

  語呂には問題がなくても、略語を文章中に使うことには気をつけなければなりません。特に「月」や「曜日」の名前を略して書くのはカジュアルなメールならOKですが、ビジネス上のレターやEメールでは、書き手の「ずぼらな性格」がなせる仕業(しわざ)と思われてしまいます。たとえば、日本人の書いた仕事上のEメールにこんなセンテンスを時々見かけます。

 

    Our next meeting is scheduled for Mon., Aug. 7, at 10:30 a.m.

 

このセンテンスの Mon.Aug. はこのままでも意味は通じますが、真面目なビジネス文書のスタイルに合わず、またスムーズな読みの流れを阻害します。それぞれ Monday August にスペルアウトするべきです。文字数の少ない略語の方が読み手にとっても都合がよいのでは、と考えるのは日本人の当て推量であって、ネイティブスピーカーは文のスタイルに違和感を持ち印象を悪くしますから、そのデメリットは無視できません。スタイルとは表現方法や文体のことで、これは文書が使われる人間関係や文書の目的によってある程度決まっているものですから、それを逸脱するとちぐはぐな印象を与えるのです。なお、a.m. はラテン語からの略語ですが文章中にも使える略語として定着しており、このままの方が読みやすいので書き換えません。

 

  別のフレーズの話です。依頼をするための手紙の最後に、「ご協力をお願いいたします」の意味で、Thank you in advance for your cooperation. と書く人がいます。ところが、この中の in advance「前もって」がいけません。この2語は削除するべきです。「前もって」今お礼を言うからには当然やってくれるね、という押しつけがましさと、やってもらった後にはお礼は言わないよ、という言外の傲慢さが感じられるために、ネイティブスピーカーにはこのフレーズを嫌う人がいるからです。ただし、言葉に対する感受性の鈍い人や、ごく親しい人どうしのEメールなどには使われます。

 

  ところが、アメリカ人からもらったEメールにこのフレーズがあるのを見て、本当は憤慨しなければならないのに、「前もってお礼を言います」とは何と丁寧で気のきいた言い方なんだろうか、と勝手に感激してしまった人が、皆さんの先輩にたくさんいたのです。「こんなよい表現は、ぜひ自分も真似をしなくては」と、依頼のEメールのフォーマットに予めタイプしておく人もいるほどです。

 

 このように、よく調べもせずにひとり合点をして失敗した話で思い出しますのは、出雲の神社に参拝に行ったある上人(しょうにん)が、入口の獅子(しし)と狛犬(こまいぬ)が、普通の神社ならば内側を向いているのに、ここでは外側に向けて置かれているのを見て、「これにはきっと深いわけがあるのだろう」と涙を流して感激し、どんな有難い話が聞けるのだろうかと期待して、その理由を神官に尋ねたところ、「いやあ、子供がいたずらをして困っているんですよ」で、ダアーとなった話。高校のとき古文で習いましたね。徒然草です。

 

                                   第2話 はこれでおしまいです。