昨夜の記事で思い出した。


そうだった…

思い出したよ…


私は、子ども時代…

小学生の頃から、


『素直』

という言葉が大嫌いだった。


大人が、

『素直になれ!』

なんて言葉を使うたび、


『何に対して』素直になれ        


言ってるんだ?


意味不明だと思っていた。


中学生になっても、

高校生になっても、

大学生になっても、

大人になっても、


『素直じゃない!』

『素直になれ!』

『素直に謝れ!』


という言葉に、

今の言葉でいうところの、

いわゆる…


ムカついていた。                 



大人は、

『自分が一番正しい!』

と思っていて、


それをこの世の基準、

『善』だとし、


『子どもの心』を           

これっぽっちも考えず、

『子どもの言い分』を

全く理解しようとせず、



有無を言わさず、

自分に従わせた。


『大人』という権威を

振りかざし、強制的に

自分に従わせようとした。


そんな時に使った言葉。



子どもの頭上に石を乗せ、

こう教えた。


自分の心に嘘をつき、

心の中のモヤモヤに、

目をつぶれ。と。


そうやって、

子どもの心をねじ伏せた。


『素直』という言葉を、

そんな風に使った。


だから私は、

この言葉が嫌い。



『素直になる』というのは、


他人の考えに従うことでは       

なく、おのれの心に従う事            

をいうのだ。


これが、『素直になる』の

本当の意味。


小学生の頃から、

そう思っていた。


自分の心に従って生きている

子どもの心を、

私は、ピュアだと感じる。


ま、

時には、

問題も起こすけどね…😅


太陽の光が入り、透明に輝く

子どもの心。


私はそれを守りたい。



子どもであっても、あの頃

大事なことが見えてたよ。


だから私は、

子どもだとバカにすることは

決してないよ。


子どもは、

大人の矛盾も見ている。


大人は、常に、

見られているよ。



子どもといると、

素直な自分になれる。


素直な自分の心を書ける。


心が浄化されていくような

気がしている。