フと思い出した。

母の昔話。


母は、満州で生まれた。


幼稚園の時、

先生に連れられて、

ラジオ局で独唱したという、

ビックリびっくりな話を聞いたのは

母が亡くなる前…


結構最近のことだった。


それまで、何十年も

一緒にいながら、

初めて聞く話だった。


確かに、歌うのが好きな人

だったけど、


4歳の頃、

ラジオ局に行って、

一人で歌った?


どうしてそのようなことに

なったのか…

本人は、覚えてないらしい…


家で一生懸命練習した。


そして、当日。


放送される時間になると、


母の、一生に一度の晴れ姿!

晴れ舞台の母の歌を聴こうと

家族はもちろん、親戚中が、

ラジオの前に座り、

ジッと、耳を澄ませた。


母が歌ったのは、

『カナリヤ』


こういう歌詞。



♪カナリヤ♪


歌を忘れたカナリヤは

うしろの山にすてましょか

いえいえ それは なりませぬ


歌を忘れたカナリヤは

せどのこやぶにうめましょか

いえいえ それは なりませぬ


歌を忘れたカナリヤは

柳のむちで ぶちましょか

いえいえ それは かわいそう


歌を忘れたカナリヤは

ぞうげの船に 銀のかい

月夜の海に 浮かべれば

忘れた歌を 思い出す


母の歌が、

ラジオの中から流れてきた。


ところが、

しばらくすると、


突然歌が、ピタッと止んだ。


皆が、

Kちゃん、どうしたんだろ?

歌を忘れたんだろうか?

と…


そして、


そのまま、母の歌は、

再開されることなく、


母の晴れ舞台は終わった…



どうしてそんなことに

なったのか…


その理由を知って、

私は泣いた。


4歳の子が、純粋に、

一生懸命、感情を込めて

歌ってたんだろな…



歌ってる途中で、


カナリヤが可哀想になって

しくしく泣き出したのだと…


それで歌えなくなって、


マイクの前から

抱き抱えられるようにして

退場させられた、と。


母は、笑い話として、

笑いながら話したんだけど…


私は、笑いながらも、

その純粋さに、

ポロポロ涙がこぼれたのよ。


今も、書きながら涙が…



目の前にいる、

少々のことではビクとも

しないような、

繊細からは程遠く思える母に


そんな繊細な心の

幼い頃があったなんて…



一生に一度の晴れ舞台が

そんなことになってしまった

けど、


私は、晴れ舞台で

見事に歌い切ることよりも、


そうやって、

カナリヤが可哀想になって

泣き出した母の

繊細な優しい心の方が、

ずっと大事に思った。



亡くなる前に、

そのような話を聞けて、

本当によかったと思う。


母が、どんな人だったのか

知ることができて、

本当によかった。