先日、仕事の面接で私が

落とされた原因?

と思う箇所について、

書きましたが、

コメントをいただきまして、


あ、そういうことか…

と気づいたことがあるので

書いてみます。


なるほど~と、

ちょっと、愕然?とする

気持ちになりましたが…😅


面接の最後のその質問。


私の答え方が、合ってたか

どうか、というより…


もっと根本的なこと…


私の全体像というか、

総合的なものが原因だった

のかも…

と気がつきました。


履歴書に書いた、

私の職歴。


一番最初は、お店の仕事。

一応お客さんには接してた。



「お早うございます!

いらっしゃいませ!」

「ありがとうございました」



お客さんを売り場に案内した

り、一緒に商品を探したり…

お客さんの立場に立って、

何を求めているのか、

一緒に考え、

お役に立てた時は、

本当に嬉しくて、

品出しで物を扱うより、

こうやって、

お客さんに接する方が、

ずっと楽しいな😃💕🎵

と思ってました。


私の仕事は、

お客さんが来る前の、

早朝の品出しの仕事。


なのに、なぜ私が、

お客さんに接しているのか?


それは…


私の仕事がそれまでに終わら

なかったからです。

(量が、半端ない)


本来すべきだった『同僚』が

勝手に手を引いて増えた分

+ 以前から私に分担されて

いる、他の人たちより時間の

かかる商品。


これらを片付けるため、

(片付かないけど)


みんなサッサと帰る中、

少し定時を過ぎても私は

仕事をしていたので、自然と

お客さんに接することにも

なったのです。


それは、楽しかった!!

黙々と物を相手にするより、

お客さん相手の方が

ずっと楽しい。


でも、レジは難しそうで、

私にはムリと思ったし…


そんな中で、

その世界にはその世界なりの

小さくても

『身につけなければならない

こと』

というのがあるなぁ、

と思いました。



例えば…


『いらっしゃいませ!』

の言い方一つ取ってみても、


言われて気持ちのいい言い方

にするには、奥が深い。


秘かに研究し、

練習したものです。


私が気がついたのは、

『いらっしゃいませ』の、

『せ』の部分。


ここをどう発音するかが、

ポイントだな、と。


市場で魚屋さんが言うなら、

ここに力を入れ、

語尾を上げるように、

「せえ⤴️」

と発音する。


すると、

威勢がよくて、お客さんを

呼び込む力がありますよね?


うどん屋さんも元気だけど、

魚屋さんのように言うと、

ちょっと違う。


『せ』から微妙に下げてから

微妙に上げるという、

『語尾の揺らし』があると

いいかな?

(勝手な分析…😆)


私が働いていたのは、

大きなドラッグストアです。


ドラッグストアに相応しい

言い方というものがあると

思ったのよね…


スーパーなら、

単純に元気よく言えばいい。


今時代のドラッグストアは、

日用品もスーパー並みにあり

それを買いに来るだけという

人も、もちろんいるけど、

基本は、薬屋さん。


穏やかで柔らかな明るさと

優しさが必要よね…


そこら辺の微妙な加減が難しい…


他の人の言い方を聞きながら

どのように言ってるのか、

語尾の研究をしました。


ある意味、音楽的🎶😄


語尾を軽く⤴️にすると、

暗くならず、明るい感じに

なると発見!


でも、その⤴️具合が難しい…


わざとらしくならず、

自然な優しさで…


でも、

弱々しいと、意思の無い、

ただ通り過ぎる『風』

になってしまう…



自分がどこかのお店に入って

「いらっしゃいませ」

と言われることは、人生で

もう、何十万回?

と経験しているのに、


こんなに難しいとは、

知りませんでした。


『同僚』たちは、帰り際に

出会うお客さんに会っても、

風のように口先で言うだけ。


心から出てる言葉かどうかは

聞けばすぐわかる。


私は元々、

『いらっしゃいませ~』

と言う仕事に憧れがあって、

その言葉を言ってみたいと

思っていたので、


気持ちよく聞こえるには

どうしたらいいか。

そこは、こだわりました。


お客さんを迎えるというのは

嬉しいことだし、

ありがたいことだし、

また来たい!

と思われるような挨拶って、

大事よね…



そんなある日、

思いがけず、

発見しました!!


私が、ある人(『同僚』

じゃない!)とニコヤカに

会話をしている最中に、

お客さまが来られたのよ。


その時に発した私の

「いらっしゃいませ」が、


「これだ!!」

私の思う理想の言い方だった

のです!!

自然に言えたんです!!!



それ以来、

そのように挨拶するように

なりました。


楽しく会話してる時のような

笑顔から、自然に言うように

心掛けたのです。


あるいは、自分が知ってる人

に向かって言うように。


そしたら自然に笑顔で言える

から。



『せ』の部分が、

自然な優しさと明るさのある

言い方になったのよね…


…という風に


努力あって気持ちのいい挨拶

ができるようになりましたが


これは、あくまでも、

『お店に来るお客さん』

を相手にした話。



図書館の利用者さんと

スタッフの接し方なんて、

私は、全く意識したことは、

ありません。

そんなこと、考えもしなかった。


私が利用してた、家の近くの

文化会館の中の小さな図書館

は、


スタッフは、ごく普通の人で

特に何てこともなく…

普通に気持ちよく接してる

だけというか…


過去には、

若いだけの、

気が利かない感じの

不似合いな人がいたことも

ありました。


それが気になったくらいかな


スタッフと利用者さんの会話

なんてほとんど無い…


何日までに返却して下さいと

言われるだけで、

事務的で淡々としたものだ。


静かに本を元の棚に戻してる

姿しか見ないし…


『お客さん仕事』ではない、

地味で、目立たない存在だ。



ところが、

私が面接を受けた図書館は…


モダンなクリニックの受付

みたいな…

(たとえが変か…)

明るくオープンな感じ。


会館の受付、ホールの受付、

図書館の受付が、

その1ヶ所に集結している。


とてもスマートな、

都会的な感じ…


と言っても、


黙々と本を棚に戻している

人たちは、寡黙そうな、

『普通』のおばちゃんたち

という感じで、とても地味。


その人たちがパートの人たち

だろうな…

私もそうやって、黙々と、

静かに作業をするのね…


と思った。



面接の担当者が来ない件で

お世話になった、

とても感じの良い、

きれいなお姉さんは、

図書館の人でした。


図書館司書の資格を持った

契約社員か、社員さんかな?

図書館の表の顔として、

とてもステキでしたね。


女優の麻生久美子さんの

若い頃を可愛くしたような、

女性でした。


パートのスタッフは、

ちょっと奥の、

目立たないところにいる感じ

だったかな?

何人かで立って話(雑談風?

)をしていました。


私の行ってた図書館の

指定管理業者は、

大阪の会社。


ここの図書館の指定管理業者

は、東京の会社。


そんなのも、雰囲気の違いに

関係してるかな?


東京に叔母たちがいて、

従姉妹たちが住んでるのだけど、昔みんなでこっちに

遊びに来たとき、

従姉妹たちが、

こんなことを言ってました。


こっちは、いろんなことが、

面白い。楽しい、と。


こんな、何にも無いような

所で、申し訳ない感じなのに

思わぬ発言で、

ビックリしました。


何が楽しい?って聞くと、

「遊び心がある」

って口々に言ったのです。


思ってもなかったことを

言われて、

へぇーと思いました。

すごく心に残っています。


それから何十年も過ぎたし、

一般論というわけではない

と思うけど、



もしかしたら、

それで求めるものが違う

のかも…

というのも、ひとつには

感じました。


とにかく、スマートで、

清潔感に溢れてる…


子どもたちが座ったり寝転が

ったりして読む場所に、

三角や四角の小さなスツール

のようなのが置かれてるけど

それは、白一色。

清々しく清潔感溢れるけど、

子どもの居場所として、

温かさは感じられない。


図書館には、飾り物が、

何ひとつありませんでした。


私の家の近くの図書館には、

受付の近くに、

新刊書を並べる棚があって、

その柱には、季節に合わせ、

手作りの折り紙の花とかが

飾ってあり、ホッと

温かさを感じる場所です。



面接時に、こんな質問も

ありました。


「もし採用されたら、

この図書館のためにあなたは

どんなことができますか?」



私は次のように答えました。


「 自分には専門的なことは

わからないけど、

(家の近くの図書館の例を挙げ)

居心地のいい、温かい図書館

作りをするお手伝いができた

らいいな、と思います。」


私は、

そのモダンな図書館が

求めていない人だったのでは

ないかな?


そういう、シティ感覚?

溢れるような場所に合う、

図書館スタッフらしい人?を

求めたのじゃないかな?


お店のお客さんしか相手に

したことがないような私

ではなく、


『きちんと』図書館の

利用者さんを相手に接する

ことのできる、

『きちんとした』

図書館のスタッフ『らしい』

人を

求めたんじゃないかな?


私には、元から全然、

イメージが無かったので、

彼らの理想とするスタッフ像

がどういうものなのか、

全く見えなくて、

わからないのだけど。


『いらっしゃいませ』

の言葉ひとつ取ってみても、

その場に相応しい言い方

というものがあるように、


図書館のスタッフらしさ

という

私にはわからないような

『微妙なもの』があって…


面接で私を総合的に見たとき

私の持ってる雰囲気や、

醸し出すものが、

『らしく』なかったのだと

思います。



たとえば…

こんな感じ?(😁)



推理小説の中で、

私が、特別捜査官?として

図書館スタッフになって

潜入捜査をしていたとする。

(すごい設定🤣)



いかに図書館スタッフに

なりきっていても、

私の中に、

『らしくない』何か

が見えて、

あのスタッフは、

何か違うゾ!怪しい!

って、正体を見破られる

ような気がするのよ。



私が女優で、

図書館スタッフの役を

演じることになったとする…

(これまたすごい想像…🤣)


演出家は、私の行動が

イチイチ気に入らず、

ダメ出しばかりする。


そして、結局、

配役を間違えた…

ってことになり、

私は、役を交代させられる。


私は、図書館に仕事場見学

に来る生徒たちを引率する、

小学校の先生役だ。


演出家は思う。

「こっちの方が断然似合ってる!」

🤣


あるいは、

図書館の若いスタッフに、

いちゃもんのようなクレーム

をつける気難しい老人から

可哀想なスタッフを守る。

という役…


あるいは…



誰も想像してくれないと

思うけど…


私には、もうひとつ

よく似合う役があるのよ…



それは…


『気難しい老人』が通う

デイサービスでお年寄りの

世話をする優しいスタッフ。


私の中には、

弱いものを助ける、

という遺伝子?のようなのが

あって、


私の人生のいろんな場で、

私は常に、

『誰かから、何かから、

弱い人を助ける。』


という行動、意識を持って

生きてきたところがあって、


その時、その時の

場面の中に、

強い人と弱い人がいたら、

弱い人を助ける。


工場だったら、

研修生たちが辛い目に合って

いないか、

安い賃金で働かされていないか、

残業に苦しめられていないか

生き生きした顔をしているか

とか、

自然にそういう方に目がいく

のよね…


つい最近は…

遠くから彷徨してきて

帰れなくなってた認知症の

おじいちゃんを助けました。


機転を利かせ、上手に

家の電話番号を聞き出せた

ので、暗く寒くなる前に

お家の人が迎えに来てくれて

無事にお家に帰れました。


電話番号聞いた後、本人は、

「 とっさに出てきたから、

違うかもしれん… 」

って言ったのだけど、


私は、

とっさだからこそ、

本当である可能性が高い、

と思いました。


当たりでした。

家の電話番号、

覚えてくれててよかった…



おじいちゃんといろいろな

会話をしました。



私は、認知症の老人の

可愛らしさを知っています。

だからこそ、迷子の老人と

上手に会話することができ

たのです。



父は晩年、認知症だったの

です。



図書館の面接時には、

訳のわからん老人という風に

その面接官が顔をしかめる

ような感じで、クレーム…

と言ったので、


私はすぐ、

若いスタッフを守らなければ

というモードになりました。



認知症でも、頑固老人でも、

大抵の人は、共感を持って

優しく話せばわかってくれ

ます。


具体例の無い話で話をする、

というのは、

あまり賢いやり方では

ありませんね。


双方にとって、無益です。

具体例で話をしたかったです



私は、先生と名はついても、

実際には、幼稚園の先生、

くらいのもんだったけど、

一応、

人から「先生」と呼ばれる

存在だったので、


私の立ち振舞いや、話し方

に、その片鱗が感じられる

としたら、

それは仕方のないこと。


私がどんなに利用者さんに

気を配り、お客さまとして

接していても、

何かしらその『片鱗』が

出てくるものなのかも

しれません。


どんなに上手に

図書館スタッフを

『演じていても』

図書館スタッフには

なりきれなかったのかも

しれません。


そして、


ここで、『演じる』

と言ってること自体、


私が演じる仕事、

だったのだなぁ、

と思います。


私が、演じなくていい仕事、


『本当の自分』

を出していい仕事。


それが、私の

『天職』

というものなのだろうと

思います。