今日は勘三郎さんの命日です。
 
1週間くらい前に、 勘三郎さんが出てくる不思議な夢を見ました。
 
どこかの体育館のような広い楽屋に、ずらっと鏡が並んでいて
 
私の化粧前は、キャミソールだとかもうグチャグチャに置いてあって
 
お世辞にも綺麗とは言えない状態で。
 
そうしたら、いたずらっぽい顔をした勘三郎さんがやってきて
 
「なんだよこれ。汚いよ、あなた。」って、大声で言って周囲を笑わせてくれました。
 
しばらくして、奥まったところにあった勘三郎さんの化粧前へ行き
 
「じゃ、帰りますね。」と言ったら、いつもなら
 
「ほんと!?もう帰っちゃうの?今日はありがとね。またね。」なんて
 
表情たっぷりに大きな声で言ってくださる勘三郎さんが
 
鏡の方を向いたまま 私に背を向けて「うん。」とだけ言いました。
 
白い楽屋着を着たその背中が、あまりにも辛そうで 寂しそうで
 
「あ。体の具合が悪いんだ!」と、はっとしたところで目が覚めました。
 
 
 
翌日、 奥様がお書きになった「中村勘三郎 最期の131日」という御本を偶然見つけ 
 
偶然 昨日読んでいました。
 
最終章を読んでいた時に気付きました。
 
オンタイムで読んでいました。
 
私は闘病中の事を何も知らなかったので 
 
壮絶な日々を昨晩、垣間見た気持ちがしました。
 
 
image
 
 
とても書きつくせない 壮絶な日々。
 
でも、その中で 唯一 救いだと感じられたのは
 
愛に溢れた、本当に素晴らしい家族と、
 
野田さん、大竹さんを始めとした、たくさんの熱い友情に見守られ 旅立って行かれた事。
 
 
本の中で、強い糸で結ばれた御家族に驚き感動した箇所があります。
 
勘三郎さんの肺が、もうほとんど機能しなくなって「移植」という方法が出てきた時の文です。
 
 
 
『肺は再生しない臓器なのでドナーの負担は少なくなく、将来へのリスクはあるのに、
雅行も降行もためらいませんでした。「ダメかもしれない。それでも、そこに光があるのなら、僕たちはその光に向かいます。僕たちはトレーニングすれば、なんとかなるんだから」
 
 
 
 
そして、最後まで諦めずに力を尽くしてくださった お医者さんの言葉にも胸を打たれました。
 
『僕もご本人に会って、声は聞けなかったんですけども、口パクでお話をして、この人は日本に必要だと思いました。あんな人に会ったのは初めてだったので。素晴らしい人だった。やっぱり彼の持っている明るさと、周りを変えるエネルギー。カリスマ性があって、どうしようもなく惹きつけられました。ですから、もう一回舞台に立って演技をしていただきたかった。病気を乗り越えたあとに舞台に復帰できたら、どんなすごい表現をされるだろうと。』
 
本当に、その通りの人でした。
 
誰に対しても全く境界線を作らず、分け隔てなく接してくださる人だった。 
 
 
 
お香典返しに頂いていた時計に、今頃電池を入れたら動き出して
 
1秒1秒の時の刻みを見ながら 時の大切さを感じている今です。
 
 
合掌
 
 

 毬谷友子一人語り「障子の国のテインカーベル」

作 野田秀樹 / 演出・美術 毬谷友子 追加公演!

12月25日19:30~  ¥3000+1drink   当日券あり¥3500+1drink

 

image

 

この舞台を立ち上げようと頑張っていた10年くらい前、

 

音楽に椎名林檎さんを紹介してくださったのは勘三郎さんだった。

 

会うたびに「あれ、どうなった?」って聞いてくださっていた。

 

ありがとう。形を変えて、まだ挑戦してます。 頑張ります。

 

 

 よかったら観に来てください。ハート

 

 

チケットのお取り扱いは

 毬谷友子公式SHOP  https://MARIYUM.thebase.in

MANDALA web  https://ssl.form-mailer.jp/fms/36a3b84d475895