縁あって出逢ってから、知らぬ間に仲を深めていた友だちがいる。
その子はつい最近、ある場所を旅して、
“自分の絵”というおみやげを持って帰ってきた。
私、marikkoを描いてくれた絵は、
今までどこでも見たことのないものだった。
色鉛筆でふわりと描かれた綿菓子みたいな柔らかな世界は、
“私”の姿を描いたというより、
彼女のなかにあるファンタジーや創造性というより、
彼女が超自然と自然から受け取ったメッセージのように思えた。
彼女に言わせると、「絵がやってくる」んだそう。
描いているんじゃなくて、描かされているのだという。
彼女の絵は、“愛”そのものという感じがする。
そんな彼女にリーディングをしてもらえることになった。
それがとても印象的で、未だにそのときの余韻が心に残っている。
きっとずっと忘れないし、忘れたくないから、書き留めておきたいと思った。
彼女はリーディングに使っていたのは、日本の神様カード。
その一枚一枚から、ゆっくりと私の魂の声を聞き出してくれた。
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全体として、すごくパワーがあって、すべて準備できているのだという。
…のに、自分で石を置いて流れを止めている。
待ち人も、もういるのに、待たせている。
なぜ流れを止めるのかというと、自分の力が怖いからなんだそうだ。
自分の力で相手を傷つけるんじゃないかと思っている。
そういう前世があったというのが、彼女の読み解くところ。
でも、石をどけるのは、ほんのちょっとの力でいい。
ほんのちょっとのきっかけがあればいいだけ。
そうしたら、堰き止めるものはなくなる。
あとは意のまま自由に流れていけるのだ。
私は殻に閉じ籠っている。それこそが、石なのだ。
私は今、一人の温かな空間が、
完璧で完全に快適であると信じている。
そこで私は自分を伝えること、表現することを諦め、
コミュニケーション以外で人と分かりあえる術があると信じている。
でも本当は、私にとっては、
直に人と触れ合うことこそが人と分かりあえる術なのだ。
だから、私は自分の気持ちを伝えなければいけない。
自分という人間を表現しなければいけない。
それが、石をどけるということ。
自分がどうしたいか。どう感じているのか。どう思うのか。
その一つひとつを口にしていくことが、
小さいけれど必要な歩みなのだ。
“ことば”も、私にとって大事なのだそうだ。
そういえば、「ことばに関わる仕事がしたい」
そんな風に思っていたころもあったなぁ、と思い出す。
今の私は、機械が正常に作動するために片時も目を離さずにいる整備士。
動きが悪くなれば油を差し、不調が生じれば修理をする。
規則正しく、例外のない日々を送るのが仕事。
でも私は、そのことに完全に疲れきってしまってるようだ。
私は、愚者になっていい。
崖っぷちに咲く花を手にするためになら
崖から飛び降りることも辞さない、そんな愚か者に。
何にも縛られず、型にはまらず、限界を設けず、
ただ自分の純粋な思いに従う。
それこそが、全ての現実を凌駕する。
すると私は、内側を花でいっぱいに満たせるのだ。
私は望むことすべてを花咲かせることができる。
そのとき、私は完全になる。
私は、一生殻に閉じこもってもいられるし、
そこから抜け出すこともできる。
自分が望むままに可能なのだ。
途中に促されて引いたカードは、富士山の女の神様が描かれたものだった。
恋愛の最強カードということで…ちょっと嬉しかった(笑)。
そして、偶然表がめくれた一枚は、ことばの神様のカードだった。
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こんな感じが、友だちが導き出してくれた私の魂の声。
ことばがど真ん中に刺さった(笑)。
でも痛いわけじゃないの。
痛かったのは、もうずっと前のことだったんじゃないかと思う。
今は痛い振りをしていただけなのかもとすら思う。
もう傷は癒えてるよ、と言ってもらった気がした。
そうして、希望で道を明るく照らしてくれた。
彼女のことばもまた、“愛”そのものという感じ。
私は、この場所から出て行きたい。
私が望むのだから、出て行けるはずだよね…。
まずは、部屋の外に出ることからかな。
そうして、とにかく、感じたことをそのまま口にしてみる。
直感に従ってみる。
「ナシ」と思っていたことを「アリ」にしてみる。
できるだけ、書いてみる。
けっこうやることある。
でも、やってみよう。
みのりっぺ、ありがとう。