私がわたしの神である! | Liber Novus 真理の書

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問題がひとりで解決する事は絶対にない
誰もあなたに代わって闘ってはくれない
貴方だけの幸せの公式を見つけましょう。

今の方法で上手くいかないならせめて他のやり方を検討しましょう。
楽観主義でも、悲観主義でもなく、「現実主義者」になる為の真理の書

ご機嫌いかがですか?



今週末はゆっくり過ごしております。


こんな時も必要ですな。


現在は、社団法人の設立手続きという細々した実務もございまして、結構時間が取られています。



いや、社団法人の設立など、外部に頼めば10万位のエキストラ費用で出来て楽なんですが、私はどちらかというと、一度は自分で出来る事は経験したいたち、なんです。


何故なら、どんな事でも、自分自身で一度経験すると、その煩雑さとか、めんどくささとかを実感出来るからです。


体感するって、何事にもイメージ力を促進させるので、私は出来るだけ一度は体感する事が出来るなら、進んでやります。

一度の経験で十分な位、深く、真剣に出来る限り体感します。


何故なら、その意識が無いと、ただの雑用になってしまうから。



昔ね、スイスでインターンをやってた時があります。

その時、実感しました。



インターンの学生って、まあ、お金払って勉強して、マネジメントになる為にそれらを行っているので、妙な見栄というか、プライドはあるんです。


でもね、残念ながら、人間やって行って組織に属すると、細々した事をきちっと出来ないと、他人様に御迷惑をかけるんですね。


インターンの学生は、残念ながら、その基本すらわかってない事が多いのでそこから学ぶ。



それらを下らない事、と受け止めるか、なんでそれが必要かを知る為に、私は体感をする事が必要だと思うのです。



20代の頃、そう思って、インターン生ととしては、かなり優秀とされた私。
(^-^)



20代後半には管理職になり、ずっとアシスタントさんがいたので、実は独立するまで、Fax一つ送り方を知らず、独立した後、ファイリングなんかも綺麗に出来なくて、大変でしたが、なんとかやる事を覚えました。


体感するって、どんな小さな事でも、本当に大切ですな。



良く、ご夫婦で、奥さんは旦那の仕事が理解出来ない、旦那は奥さんの一日が理解出来なくて、


たかがそんな事!


と、思ってないがしろにした~!

って事が積み重なって不満が爆発!



って事、多いですが、これは、もしかしたら、相手への想像力の欠如かも知れません。



そうそう、私の姪が、兄の職場(救急病院なんですが)見学に行って、兄(彼女にとってはお父さん)の事をより深く理解したって事がありました。


経験が全てとも思っていませんし、全て経験出来るとも思っておりませんが、苦手な事をあえて私はチャレンジをする事によって、幅広いイメージ力を培っていると感じて楽しんでいる今日この頃です!
(^-^)




社団法人を設立するにあたって、私にとっては、新しいご縁の方々との交流も出来てきました。


そんな中、先日、ある方とお話をしていて、神様論になりました。


私は、自分自身以外を神様と置く事に何処か違和感があります。


別に今ここにいる、物質の自分自身が全知全能の神様でなんでも出来る!



って思っているわけではないんですが、私ってのは、全知全能の神様とやらがいるなら、今の私はその一部の様な感覚です。



例えば、


私の右手は、まりりんです。

私の左足もまりりんです。



小指もまりりんです。




でも、これらを失っても、まりりんとして生物として生きる事は、現代医学では、ほぼ可能です。




まりりんはまりりん。


何がいいたいかと、言うと、今の今生のここにいる、物質のまりりんは、大きな存在の一部であり、


一部なんだけど、物質の細胞は日々進化していて、6ヶ月後のまりりんは今日現在のまりりんと別の者かも知れなくて、でも経験とか思想とかは、自分自身の無意識に落ちていて、それらが無意識の集合体にも繋がっている。


だから、まりりんには、無限の可能性に繋がっていて、物質まりりんが、生きる人生において、物質まりりんこそが唯一自分自身へのアクセスが可能な存在であり、それを実現させるのも自分だと。


無意識の集合体は、私であり貴方である。

全てには、区別も境界線もない。




だから、私が祈る時、私は私の全てに祈る。




しかし、生物としてのまりりんは、身体という器に課された限界も現実にはある。


それが、生物としての宿命…。




な~んて事をお話すると、





?????


って、お顔をされたりする事もあります。


しかしこれが私の神様観であり、宗教は学問として、学ばせて頂くという基本のスタンスの根源であるのです。



私が神様のシンボルと言われるものに祈る時は、私の神様であるわたしと同じもの、無意識の集合体の全てなんです。



私はどうしても、自分自身以外を神様と置く事には、違和感があります。


思い上がった自惚れ者に見えるかも知れません。


私の中の無意識の集合体の“解釈”に過ぎないかも知れませんが、


私の神様はわたしです!





(^-^)


なんて事をちょこっと表明させて頂きます!


ではでは!



Un petit salon "La Place"
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