私は私の人生の素晴らしい主役であり、周りにとっては、かけがえのない脇役! | Liber Novus 真理の書

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こんにちは!


まりりんです。ご機嫌いかがですか?(^-^)/

 

今日は久しぶりに完全なOff日に前からしていて、本当は色々やりたかったのですが、どうもいい感じにダラダラしていて、あまりにふにゃふにゃ、ぐうぐう寝ていたら、つれに怒られてしまったまりりんです。∑( ̄▽ ̄;)


 

さて、だらだらしていたので、脳みそもぐにゃぐにゃなんですが、ちょこっと数日前から書きたいな~と感じていた事があるので、ちょこっと脳みそに気合を入れて書きます。
(^-^)/


 


色んな局面で、人生の主役って誰?



って、感じる事がまりりんにはあります。

 

人は、生きてゆく上に、自分という確固たるものの認識と、そして、人生に関わる人々との間で、自分というものが一体どこにいるのかを混同する事がありえます。


私という存在は、私という人生の中では、確固たる主役であるという事!
私以外の人は、主役にはなりえない。

 



その自覚の大切さ!



そして、何より、これを強調して言いたいのですが、

 



私は、自分の周りの人の人生にとっては、脇役の一人であるという事。



絶対に主役には成りえないんです。


 


私は、自分の人生の主役であり、そして、周りの人の脇役であるという事。

これを混同するととってもややこしくなります。

 


特に、そうですね、いいにくいのですが、セラピストさんとか、カウンセラーさんとかでも陥りやすい事で、いらっしゃるクライアントさんが真剣に人生に、向き合っていないって、悲しんでしまったり、御自身を責めてしまったりされている方をお見受けします。

 



確かに、御自身がプロのカウンセラーさんなのだから、何とか目の前にいらっしゃる方を楽にしてさしあげたい!


という、深い愛情からの悩みだったりするのですが、

 


これって、昔、親が子供の為に良かれと思って、**する・・・というのとあまり変わらないのです。

 



親が良かれと思っての事って、もしかしたら、それでもいいのかもしれない事が沢山あり、むげにそれは大きなお世話!

 

だと言いきれない事も多々あります。
(だから、やっかいだともいえます。)

 


私は思うのですけど、自分が、他人の為に何かをする時って、自分の人生においては主役として、それを精一杯行い、そして、他人の立場では、その行為は、あくまで脇役であるという自覚。



その脇役をどう演じるかが、その人次第だと。。。

 


何故、その概念が大切かというと、実は、他人の事は見えやすいので、解った気になりやすいんですけど、実は他人の事を100%理解するという事は不可能だからです。




逆に、自分の事は見えにくいけど、100%理解し得るのは、自分しかいない。

 

自分の目では自分を見る事は出来ません。
他人の顔は見えます。

 

 

しかし、心を100%感じる事が出来るのは、一人ひとりその個の自分だという事です。


 


ちょこっとややこしい例を出しますと、

 

昔“ブッシュマン”という映画がありました。

南アフリカ・ボツワナ共和国の砂漠に居住する地球最古の人類と呼ばれるブッシュマンの生活を描いたものです。


 


その映画の中で、こんな事があります。

 

あるセスナのパイロットがコカ・コーラのビンを空からポイ捨てをします。それがたまたまブッシュマン族の部落に落下。彼らにとっては見たことも無いもの。(我々にとってはコカコーラの空き瓶)



彼らは、この見知らぬものを、獲物を皮をなめす道具に使ったり、穀物を潰したり、今まで使っていた道具より、便利だって気がついて、神様がくれた便利な道具と一族そろって大喜びします。

しかし、これはたった一つしかなく、その部族の中で、ビンをめぐる争いが起こります。

 

彼らにとっては、最初、神様からの贈り物だったものが、いつの間にか、悪魔からの贈り物と変化する・・・。

 

 

さて、質問です。



セスナ機のパイロットがポイ捨てした“物”は、何ですか?

 


 


えっ?、コカコーラの瓶???




・・・・・・・(¨;)

 




本当に???

 

 

ブッシュマンに言わせると、これは悪魔の贈り物!
と、おっしゃるかもですよ!


 

貴方は、ブッシュマンに、コカコーラの瓶なんたと説明しますか?

例えそれが、コカコーラの瓶であっても、



彼らにとって、意味はあるでしょうか?

 


まあ、何が言いたいかといいますと、




その物体が“何”であるかという事は、個人の概念では何か、という事を言えるかもしれませんが、これは、・・・である!


と、言い切れる事は、出来ないって事なんです。


 


なんか話が脱線しているように見えますが、これね、説明するのがとってもめんどくさいんですよ。

 

 

絶対に**だ!


って事はあり得ない。




自分の中の価値観、認識の中では、自分が主役ですから、それでいいんです。

 


しかし、他人にとっては、それは、



絶対に**だ!


 



って言いきるのは危険です。


何故なら、貴方はその人の人生の主役ではないからです。

 



どんなに変だ、それはおかしいと思っても、
他人の価値観というのは、その人が生きてきた沢山の事が組み合わさって出来ているもの。


 



その中には、もしかしたら、ちょっとした勘違いがあり、それがその人を苦しめている事も多々あるかも知れないけど、

 


その人の中に沈んでいるブロックさえも、

 

 

人として、生きる上で、学ぶ為に、不可欠の役割を担っているのかもしれません。

 

私は、人とかかわる時、その人の人生の脇役として、今、何のためにこの人と関わっているのかを大切にしています。


 


 

さっきのブッシュマンの例ではありませんが、



コカコーラの瓶ひとつでも、人によってはその姿を変えます。

 

 

自分が主役の視点では、コカコーラの瓶はコカコーラの瓶、
ブッシュマンが主役の視点では、悪魔(神様)からの贈り物、

 

私の役割は、ブッシュマンにこれは、コカコーラの瓶だと、




“解らせる事”


 


では、ない。

 


その人の人生において、この“物”



が、どの様な役割を持っているのか、深く一緒に感じて、その役割をどの様に今後の人生に活かしてゆくかを一緒に考える・・・・・

 



と、私は感じてます。
(あくまで、わたし・・・の現在のスタンスなので、色々な意見があると思いますよ~~~~!)

 


そのスタンスが確立されると、




何で周りが解ってくれないのか、とか、なんで伝わらないのか!

 


という悩みは必然であり、その必然性の中で、自分が出来る事が、個々に見えて来るのかもしれません。

 

 

人生において、個々の人生において、主役であるのは、その一人ひとりの人生においてだけ!


一人ひとりがかけがえのない主役です。

 

 


そして、人生にはタロットが描いているように、回る縮図があります。

 


言葉にならない深い所でそれを味わうと、



 

少しだけ、

 



 

世界が、運命の輪が、

 

また違った形で、色で回っている姿が見えてくるかも・・・

 



とまりりんは思います。

 

ではでは!


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