やす子と並走 児童養護施設で育った俳優が語った過去「母は16歳で出産」「飢えとも闘っていました
終了5時間後、心境告白「発信を続けていきたい」
古原が都内のカフェに現れた。24時間テレビのロゴが入ったTシャツを着たままだ。記者が番組を見て、急なオファーをしたのだが、「記事に取り上げてもらえることで、少しでも多くの方に養護施設について知ってもらえたら」と快諾し、向かいの席に座って話し始めた。
「今回のことは、より多くの方に児童養護施設のことを知ってもらえるチャンスだと思っています。初めて施設のことを知った視聴者の方も多いでしょうし、『自分には何ができるだろうか』と考えてくださる方もいると思います。僕もこうして参加させていただいたことに心から感謝しています」
「母は16歳にして僕を産み、シングルマザーになったものの育てることができず、僕は児童養護施設に預けられました。施設は18歳で卒園の規定なので、『アルバイトをしながらやりたいことを探そうかな』と思っていました。しかし、卒園2週間前になって職員の方から『就職か進学が決まっていないと卒園できない』『進路が決まらなかったら、2年間住み込みで新聞配達をしなさい』と告げられました。僕は悩みました。言いなりになって新聞配達の仕事はしたくない。でも、進学をするお金もない。どうすればいいのか。頭をフル回転しているうちに、街中で芸能事務所からスカウトされていたことを思い出しました。当時は他人を信用できない人間だったので、『詐欺かも』と思い、いただいた名刺に連絡することはありませんでしたが、ここで『芸能界に入ると言えば卒園できる』とひらめきました。その後、祖父から紹介された芸能事務所に所属することで卒園できました」
記事のみお借りしました。