岡本真夜『TOMORROW』ヒットで味わった「世間のイメージとの大ギャップ」…50歳になって抱く「人生後半の目標」とは
――幼少期はピアニストを目指していたそうですね。
――ドリカムの歌を聴いて、人生が変わった。
「高校1年生のとき、学校から帰宅してFMラジオの電源を入れたら、もう曲終わりのアウトロだったんですが、女性ボーカルのフェイクが聴こえてきて、それがあまりにもすばらしくて、鳥肌が立ちました。日本人であんなに歌が上手な人はなかなかいないと思って、衝撃を受けました。
――歌手になるために、何から始めたのでしょうか?
「自宅にあったシンセサイザーで打ち込みをしてオケを作って、ドリカムさん、今井美樹さん、中森明菜さんなどの歌を宅録して、コーラスも多重録音しました。
――自分で曲を作るようになったきっかけは?
「あるとき、事務所のスタッフに『曲を作ってみない?』って軽い感じで言われて、『作曲入門』的な本を買って、読んでみたら『コード進行が云々』って書いてあって。私、コードがよくわからなかったので、その本はすぐに閉じました(笑)。
――初めて作った曲が『TOMORROW』?
「はっきりとは覚えていませんが、ほぼ同時期に3曲作ったんです。『TOMORROW』は、そのなかの1曲で、あとは『BLUE STAR』と『ハピハピ バースディ』でした。
――ヒットする感触はありましたか?
「まったくないです。スタッフも誰も思ってなかった(笑)。作ったときはミディアムバラードで、今みたいなテンポのある感じではなかったんです。ドラマの主題歌に決まって、ドラマのプロデューサーがアップテンポにしてくれということで、変更になりました」
――バラード曲をアップテンポの曲に。拒否反応はありませんでしたか?
「私、そのへんすごく頑固なので、自分が最初に作った完成形を1ミリでも崩されちゃうと、納得ができないんです。そもそも、作るのも歌うのもアップテンポの曲が苦手だし、バラードが好きだったから、バラード曲でデビューしたかったですし……。
『TOMORROW』以外の曲に関しても、生意気だったけど、レコード会社のプロデューサーによく反抗していました。歌詞の修正とかの話し合いを持っても、ずっと平行線でしたけど。最終的には私が負けましたが、負けた結果がこの結果(大ヒット)ですからね(笑)」
――レコーディングで覚えていることはありますか?
「私、ちょっと記憶が飛んでるんですけど、だいぶ後になって、ディレクターに言われたのが……。最初に作ったミディアムバラードの『TOMORROW』は、サビ頭じゃなかったんですね。Aメロからの曲だったのが、『ドラマの主題歌だからアップにしてくれ』『サビ頭にしてくれ』というオーダーだったらしいんですね。その『サビ頭』についても、納得せずに歌っていたって。複雑な気持ちのまま、歌っていたのかなと思います」
――たとえば、ライブではバラードで歌うとか、ありましたか?
「当時、何回かやりました。バラードアルバム『もう一度あの頃の空を…』に、アコースティックバージョンを収録していますけど、やっぱりアップテンポでヒットしたものなので、それを塗り替えるのは難しいと感じて、あきらめました(笑)」
――10年以上というのは長いですね。今はヒットした嬉しさのほうが上ですか?
「半々ですね(笑)。だから、3枚めのシングル『ALONE』をリリースできたのが嬉しかったんです。私の気持ちとしては、ここが私にとってのデビューです」
「不思議な感覚でした。涙をポロポロ落とした記憶があります。私は家庭環境が複雑で、祖父母が私を育ててくれて、大反対を押し切って上京してのデビューだったので。『よかった』という安心感だったのかもしれません」
――デビュー曲がいきなり大ヒットを記録しました。
「でも、他人事のような感覚でしたね。デビュー当時は顔出しをせず、メディアもプロモーションも半年ぐらいまったくしていませんでした。そんななかCDが発売されて、テレビで流れて、ラジオで流れて、という状況だったので、あまり実感が持てなくて。自分の曲なんだけど自分の曲じゃないみたいな感覚は、けっこう続いてました」
――ノンプロモーションは事務所の戦略だったのでしょうか?
「じつは私、ずっと表に出ない約束をしていたんです。歌手になりたかったけど、自分が歌った歌だけが世の中に出ていけばいい。自分が前に出るのではなく、歌が流れてくれたらもうそれだけで幸せで、自分はひっそり暮らしたいと思っていました。
――デビュー当時、自分のスタンスを通すのは、難しかったのでは?
「自分のなかで葛藤しているだけなんですけどね」
「やっぱり、私の歌で人生が変わりましたって言ってくださる人がいたりとか、いろんなつらいことがあったけど、この曲で励まされて前向きになれましたとか、そういう言葉を聞くと、頑張ってきてよかったなって思います」
――では、自分が幸せだと思うのはどんなときですか?
「私は酒豪ではなくて、家ではいっさい飲まないんですけど、友人と飲むスパークリングワインの一口めが好きですね。至福のときです。それを目標に頑張っています。ふふふ(笑)」
――それは予想外でした。
「そんなイメージないですか? 私、実際の自分と世間さまが思ってるイメージがほんとに違いすぎて、けっこう悩んだ時期もあります」
――どんなふうに違ったのでしょうか?
「デビュー当時によく言われたのは、『お部屋がレースのカーテンで、紅茶を飲んでて、フランス映画を観てるイメージ』だと。すごく言われたんですけど、ぜんぶ違います(笑)。部屋にレースはないし、紅茶よりコーヒー、カフェオレ。
――「折れたほうがラクだな」と思うことはありませんか?
「昔、ラジオのパーソナリティのお姉さんに言われたことが、いまだに “そうだな” って思うんです。『真夜ちゃんは100人が右に行くって言っても、自分が左だと思ったら左に行くタイプだよね』って言われて、そのとおりだなと、今も思っています」