能登半島地震の死者73人に 迫る「72時間」、被害規模なお不明




石川県能登地方を震源とする最大震度7を観測した地震で、県などは3日、死者が73人に上ったと発表した。3日も強い揺れが相次ぎ、生存率が落ち込むとされる「発生後72時間」が4日夕に迫るなか、消防や自衛隊の職員らが救出にあたっている。

【写真】能登半島の主な幹線道路の状況

県などによると、3日午後7時現在で死者は輪島市39人、珠洲(すず)市23人、七尾市5人、穴水、能登両町で各2人、羽咋市、志賀町で各1人。けが人は323人で、少なくとも25人が重傷という。
県は3日夜、輪島市と穴水町の計15人が安否不明だとして氏名、住所、年齢などを公表した。県のホームページでも確認できる。県は昨年5月、災害時の安否不明者について、速やかな捜索や救助のため、家族の同意がなくても原則氏名を公表するよう基準を改定していた。
死者数が最も多い輪島市の坂口茂市長は3日午前11時時点で225件の救援要請があることを明かした。珠洲市でも72件の救助要請に対応できていないという。
建物被害も相次いだ。輪島、珠洲両市の被害規模は明らかになっておらず、両市を除いても180以上の民家が全半壊するなどした。3日午後3時の時点で、県内15市町の計355の避難所に計約3万3千人が身を寄せた。また5市町で孤立集落が生じている。
岸田文雄首相は3日午前、非常災害対策本部会議を首相官邸で開き、現地に派遣する自衛隊員を1千人から2千人に増員したと明らかにした。倒壊した建物の下敷きになるなど多数の救助要請があるといい、「人命第一で救命救助に全力を尽くしている」と強調した。
県の災害対策本部では、全国からの支援物資が3日朝、県内の自治体に届いたと報告された。ただ、馳浩・県知事は「現地から食料・水など物資が底をついてきたという連絡もある」とも説明した。国交省によると3日昼時点で、主に石川県の国道、県道計85区間が通行止めになった。
防衛省は自衛隊の艦艇で毛布、紙おむつ、ミルクといった救援物資を届けるとともに、重機を使って寸断された道路を通行できるようにする方針だ。珠洲市と輪島市では救助犬12頭による捜索も実施する。
能登地方では3日も強い揺れが相次いだ。午前2時21分に珠洲市で、同10時54分に輪島市でそれぞれ最大震度5強を観測。気象庁によると、この地域で1日夕~3日午後4時に観測された震度1以上の地震は521回となり、20年12月~23年12月の約3年間に起きた地震の発生数を上回った。阪神・淡路大震災(1995年)や熊本地震(2016年)と比べても発災後の余震の多さが目立つという。
北陸地方では4日朝にかけて低気圧や寒気の影響で強い雨が降るところがある見込み。同庁は、地震で地盤がゆるみ、少しの雨でも土砂災害が起こる恐れがあるとして注意を呼びかけている。


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