先日、私が最も尊敬するアーティスト、sachiyoさんの東北復興支援コンサートに行ってきました☆
sachiyoさんは、シンガポールで活動する唯一の日本人シンガーソングライターで、シンガポールの小学校の大先輩でもあるんです。
sachiyoさんの曲に出会ったのは2年前、シンガポールの本に、ホーカーセンター(現地の屋台村)の歌を歌っている日本人歌手の方がいるという紹介があって興味を持ってCDを購入したんです。
そしてアルバムを聴いてすぐにファンになってしまいました。
もう。。。
私の心の中を読まれているんじゃないのかしらと思うくらい、歌詞に共鳴して、ボロボロ泣いてしまったんです。
歌詞の中に存在する、sachiyoさんの考え方、物事に関する感じ方が似ていて、
というよりも私が思う事そっくりそのままで!
本当に驚きました。
sachiyoさんとは「日本生まれのシンガポール育ち」いう共通点があり、育った環境が似ているので、そこから生まれたアイデンティティに強く共鳴できるのだと思います。
私はよく、シンガポールに遊びに行く時に「帰る」という言い方をして、周りの人に「え?今もシンガポールに住んでいるの?」と言われてしまうのですが、
物心ついた時からシンガポールに住んでいて、私自身の考え方や価値観が育てられたのがシンガポールなので、やっぱりどうしても「故郷」といえばシンガポールだと感じるのです。
なんていうか、生みの親は日本、育ての親はシンガポールという感覚です。
日本に帰国した時は、環境の違いに馴染めず、戸惑いました。
日本人的な考え方や習慣に対して、疑問を持ちつつも、完全なシンガポーリアンになりきれるわけでもなく、やっぱり私は日本人で、、、
自分のアイデンティティの存在にとても悩み、学生時代はずっとどこにも居場所がないように感じていました。
そんな時に、sachiyoさんの一枚目のアルバムに入っている「帰国子女ブルース」という曲を聴いて、同じように考えている人がいたんだ、となんだか上手に言葉で言い表せないけれども、とても嬉しくて、安堵したのを覚えています。
私がずっとモヤモヤしていて上手く消化できないでいた思いがストレートに歌詞に乗せられていて、もういっそのこと首からCDデッキを下げて、この曲を流して歩きたい!と思うくらい。笑
私そのものでした。
この曲の内容については、また今度ゆっくり紹介したいなと思います。
今回のliveでsachiyoさんがおっしゃっていた事で印象に残ったのが、「ハーフ」という言葉の話。
「ハーフ」とは、ご存知のように両親のどちらかが外国籍を持つ方の事ですが、実はこれ、和製英語なのです。
普段自然に使われていている言葉ですが、私は外で聞くとなんだか違和感を感じてしまう言葉でもあります。
ハーフ=half
なので、そんなつもりはなくても、なんとなく「半分」という意味を思ってしまうんです。
英語では「double」(ダブル)という言い方をします。
半分、ではなく、2倍。
日本では「ハーフ」という言葉の方があまりにも有名なので、もう聞き流してしまっていてあまり気にしませんが、その言葉の意味を考えるという意識を持つ事は大事だと思うんです。
同じ事をsachiyoさんもおっしゃっていて、改めて感じました。
私は昔から「言葉に敏感」です。
それはきっと色んな言語が飛び交う国で、お互いの文化、生活習慣の違いを認め合って生活していく事を無意識に身に付けようとして育ったからだと思います。
そういえばそう考えてみると、私が誰かと会った後に「今日は本当に楽しい時間だったなぁ」と思うのは皆、話し方、話す時の言葉の選び方が上手な人なんです。
また、会話をしている時に「私(僕)はこう思うんだよね。」と意見を言ってくれる人が大好きで、私自身も自分の意思を持って発言することを心がけています。
同じ言葉を使っていてもそこに自分の気持ちがあるのとないのでは、伝わるニュアンスが全く違ってきます。
時々人が話しているのを聞いていると、明らかにそこに意思のない言葉、誰かが言ってた一般論を言ってみたり、相手に流されて無理矢理同調していたり、または相手を論破する事だけを考えて思いやりのない発言をしていたり、、、
本当に心からそう思っているの?
と感じる事があります。
考えすぎだと言われてしまいそうですが、言葉は、人の心に触れる事ができるもの、そして簡単に傷付ける事も出来てしまうものだからこそ、大切にしたいと思うんです。
SNSなどの躍進によって、流れていく言葉が多くなった時代だからこそ、言葉を選んで自分の考えを伝える、そして受ける側のことを考えたり、相手を思いやる気持ちを持って言葉を発することが重要に感じます。
と、なんだか話がズレてしまいましたが、少し前に戻して。。
私の故郷、シンガポールの魅力は、豊かな緑、美しい街並み、美味しい食べ物、など数多くありますが、やっぱり1番は多民族国家で、様々な人種の人々が文化や生活習慣などお互いの違いを認め合い、理解しあって共に暮らしているという所だと思います。
シンガポールに行くと、本当に様々な人が暮らしていて
上手く表現する事が出来ないのですが、、、
色んな人生があって良いんだ、と思えるんです。
sachiyoさんの歌には、そんなフレーズが沢山あります。
なかでも「心の声」という曲は、私の大好きな曲で、liveで聴くたびに泣かされてしまうのですが
幸せの形を他人と比べたりしないで、自分の心の声に耳を澄まして、他の誰とも違うたった一つの道を進めば良い。
そんな事を歌っている曲です。
なかなか上手くいかなかったり、苦しいことがあって、未来はどうなるんだろうと不安に思うことは誰でもあると思います。
けれどもこの曲を聴くと肩の力が抜けて、自分を見つめ直すことができるんです。
sachiyoさんのシンガポールでのlive映像があったので貼っておきますね。
素敵な歌なので、是非、歌詞をじっくり聴いていただきたいです。
そして、最後にもう一曲。
東日本大震災の直後に制作されたsachiyoさんオリジナルのチャリティーソングです。
シンガポールの音楽関係者の方の協力があってCD化することができ、すべて完売して、収益を全額、義援金として被災地に寄付することが出来たとおっしゃっていました。
こちらも是非聴いてください。
今日はとても長文になってしまいました。
読んでいただいてありがとうございました!
やっぱり音楽の話からはじまると熱が入ってしまいます。笑
今回のsachiyoさんのコンサートに行って、改めて色々な事を考える事ができ、先週のブログにも書きましたが、心がリセットされて、自分自身に戻れた気がしました。
私はまだまだ未熟者ですが、これから色々な経験を積んで人間として大きく成長していけるよう頑張りたいと思います。
iPhoneからの投稿
sachiyoさんは、シンガポールで活動する唯一の日本人シンガーソングライターで、シンガポールの小学校の大先輩でもあるんです。
sachiyoさんの曲に出会ったのは2年前、シンガポールの本に、ホーカーセンター(現地の屋台村)の歌を歌っている日本人歌手の方がいるという紹介があって興味を持ってCDを購入したんです。
そしてアルバムを聴いてすぐにファンになってしまいました。
もう。。。
私の心の中を読まれているんじゃないのかしらと思うくらい、歌詞に共鳴して、ボロボロ泣いてしまったんです。
歌詞の中に存在する、sachiyoさんの考え方、物事に関する感じ方が似ていて、
というよりも私が思う事そっくりそのままで!
本当に驚きました。
sachiyoさんとは「日本生まれのシンガポール育ち」いう共通点があり、育った環境が似ているので、そこから生まれたアイデンティティに強く共鳴できるのだと思います。
私はよく、シンガポールに遊びに行く時に「帰る」という言い方をして、周りの人に「え?今もシンガポールに住んでいるの?」と言われてしまうのですが、
物心ついた時からシンガポールに住んでいて、私自身の考え方や価値観が育てられたのがシンガポールなので、やっぱりどうしても「故郷」といえばシンガポールだと感じるのです。
なんていうか、生みの親は日本、育ての親はシンガポールという感覚です。
日本に帰国した時は、環境の違いに馴染めず、戸惑いました。
日本人的な考え方や習慣に対して、疑問を持ちつつも、完全なシンガポーリアンになりきれるわけでもなく、やっぱり私は日本人で、、、
自分のアイデンティティの存在にとても悩み、学生時代はずっとどこにも居場所がないように感じていました。
そんな時に、sachiyoさんの一枚目のアルバムに入っている「帰国子女ブルース」という曲を聴いて、同じように考えている人がいたんだ、となんだか上手に言葉で言い表せないけれども、とても嬉しくて、安堵したのを覚えています。
私がずっとモヤモヤしていて上手く消化できないでいた思いがストレートに歌詞に乗せられていて、もういっそのこと首からCDデッキを下げて、この曲を流して歩きたい!と思うくらい。笑
私そのものでした。
この曲の内容については、また今度ゆっくり紹介したいなと思います。
今回のliveでsachiyoさんがおっしゃっていた事で印象に残ったのが、「ハーフ」という言葉の話。
「ハーフ」とは、ご存知のように両親のどちらかが外国籍を持つ方の事ですが、実はこれ、和製英語なのです。
普段自然に使われていている言葉ですが、私は外で聞くとなんだか違和感を感じてしまう言葉でもあります。
ハーフ=half
なので、そんなつもりはなくても、なんとなく「半分」という意味を思ってしまうんです。
英語では「double」(ダブル)という言い方をします。
半分、ではなく、2倍。
日本では「ハーフ」という言葉の方があまりにも有名なので、もう聞き流してしまっていてあまり気にしませんが、その言葉の意味を考えるという意識を持つ事は大事だと思うんです。
同じ事をsachiyoさんもおっしゃっていて、改めて感じました。
私は昔から「言葉に敏感」です。
それはきっと色んな言語が飛び交う国で、お互いの文化、生活習慣の違いを認め合って生活していく事を無意識に身に付けようとして育ったからだと思います。
そういえばそう考えてみると、私が誰かと会った後に「今日は本当に楽しい時間だったなぁ」と思うのは皆、話し方、話す時の言葉の選び方が上手な人なんです。
また、会話をしている時に「私(僕)はこう思うんだよね。」と意見を言ってくれる人が大好きで、私自身も自分の意思を持って発言することを心がけています。
同じ言葉を使っていてもそこに自分の気持ちがあるのとないのでは、伝わるニュアンスが全く違ってきます。
時々人が話しているのを聞いていると、明らかにそこに意思のない言葉、誰かが言ってた一般論を言ってみたり、相手に流されて無理矢理同調していたり、または相手を論破する事だけを考えて思いやりのない発言をしていたり、、、
本当に心からそう思っているの?
と感じる事があります。
考えすぎだと言われてしまいそうですが、言葉は、人の心に触れる事ができるもの、そして簡単に傷付ける事も出来てしまうものだからこそ、大切にしたいと思うんです。
SNSなどの躍進によって、流れていく言葉が多くなった時代だからこそ、言葉を選んで自分の考えを伝える、そして受ける側のことを考えたり、相手を思いやる気持ちを持って言葉を発することが重要に感じます。
と、なんだか話がズレてしまいましたが、少し前に戻して。。
私の故郷、シンガポールの魅力は、豊かな緑、美しい街並み、美味しい食べ物、など数多くありますが、やっぱり1番は多民族国家で、様々な人種の人々が文化や生活習慣などお互いの違いを認め合い、理解しあって共に暮らしているという所だと思います。
シンガポールに行くと、本当に様々な人が暮らしていて
上手く表現する事が出来ないのですが、、、
色んな人生があって良いんだ、と思えるんです。
sachiyoさんの歌には、そんなフレーズが沢山あります。
なかでも「心の声」という曲は、私の大好きな曲で、liveで聴くたびに泣かされてしまうのですが
幸せの形を他人と比べたりしないで、自分の心の声に耳を澄まして、他の誰とも違うたった一つの道を進めば良い。
そんな事を歌っている曲です。
なかなか上手くいかなかったり、苦しいことがあって、未来はどうなるんだろうと不安に思うことは誰でもあると思います。
けれどもこの曲を聴くと肩の力が抜けて、自分を見つめ直すことができるんです。
sachiyoさんのシンガポールでのlive映像があったので貼っておきますね。
素敵な歌なので、是非、歌詞をじっくり聴いていただきたいです。
そして、最後にもう一曲。
東日本大震災の直後に制作されたsachiyoさんオリジナルのチャリティーソングです。
シンガポールの音楽関係者の方の協力があってCD化することができ、すべて完売して、収益を全額、義援金として被災地に寄付することが出来たとおっしゃっていました。
こちらも是非聴いてください。
今日はとても長文になってしまいました。
読んでいただいてありがとうございました!
やっぱり音楽の話からはじまると熱が入ってしまいます。笑
今回のsachiyoさんのコンサートに行って、改めて色々な事を考える事ができ、先週のブログにも書きましたが、心がリセットされて、自分自身に戻れた気がしました。
私はまだまだ未熟者ですが、これから色々な経験を積んで人間として大きく成長していけるよう頑張りたいと思います。
iPhoneからの投稿