2018年9月8日土曜日

学校も始まり、土日も早起きして子供達のサッカーの送迎と観戦!

通常の日々が始まりました。

アムステルフェーンでとても特別な記念館のオープンに立ち寄ることができました。

 

アムステルダムの南、ボス公園のそばの閑静な住宅街のRandwijk地区です。

ここは以前、フィジオセラピーだったのですが、

歴史的な背景からアムテルフェーンの歴史記念館へ指定されました。

以下Open Monumenendag公式サイトよりあまりこ抄訳

「1932年建設。「Neder-Duits Hervormde ChurchとしてPhilip Warnersが建築をしました。1938年に、ユダヤコミュニティーが所有し、シナゴーグ(ユダヤ教教会)になりました。第2次世界大戦の中期まではユダヤ人の子供の学校として利用されました。ナチスファシズム占領下では、ユダヤ人の子供達は普通の学校に通うことが許されなくなったからです。近年、建て直し・改築を避けるためにアムステルフェーン市に買い上げられ、記念館になりました。」

 

「Neder-Duits Hervormde Church」低地ドイツリフォーム教会、でしょうか。つまりオランダプロテスタント教会のことです。Philip WarnersはAmsuterdameschool,つまりアムステルダム派の建築家です。アムステルダム派の建築とは、M・デ・クラークやP・L・クラメルらが中心となり、1910年代から25年頃にかけて主にアムステルダムで活躍した建築家のグループであす。生活と美術の統合を目指し、主に労働者階級のための集合住宅を手掛けました。オランダの伝統的な素材であるレンガによる表現を特徴です。

実は、今オランダで住んでいるロングハウス(オランダ長屋?)ですが、これもアムステルダム派による建築設計だそうです。京の町家のように、入り口が狭く、奥行きが長い、うなぎの寝床式で、住み心地が実によいです。長屋がいくつか集まり、おしくらまんじゅう?の原理なのか、家の中は冬は暖かく、レンガなので、夏は涼しいです。私の書斎は、前の住人は物置にしていましたが、もともとはオーペア(住み込みのお手伝いさん)用の部屋だったとか。当時のヨーロッパではオーペアは地下の窓のない薄暗く、じめじめした劣悪な環境で寝起きすることがあたりまえだったのですが、このアムステルダム派の建築家は、オーペア用に窓があり、快適な部屋とクローゼット付きの部屋を設計したようです。

記念館の方の説明によると、多い時期で150人程がこのシナゴーグの礼拝やコミュニティー、ユダヤ人評議会などが開催されたのだそうです。びっくりするほど小さなところなんですが、写真をみると幼稚園児達と職員でいっぱい!

ナチスファシズムがオランダ占領中のある日、このユダヤ人コミュニティーにアムステルダムに行くよう通知が届き、それ以降、誰も戻ってこなかったのだそうです。まだまだ調査中で、当時の記録は全く残っていないのですが、恐らく強制収容所にいったのではないだろうかとのことです。

 

参考:Open Monumentendag公式サイト:https://www.openmonumentendag.nl/

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