太宰府駅前から

コミュニティバスに乗って

10〜15分程で

地元の方が「セイチョウ」

と呼ぶ

大宰府政庁跡 があります


夕方になっちゃったけど

建物などは無い 

遺跡なのだけれど

せっかく来たなら

やっぱり行ってみたい

と バスに乗って


よく確認しないで

来たバスに乗ってしまったら

そのバスが途中で

違う方向に曲がってしまい😱

次のバス停で降りて


覚悟決めて 

観光マップとGoogleMAPを

チラチラ見ながら

結局30分ほど歩きました🍀


風情ある川沿いや

太宰府市役所前などを通り

これも旅行の醍醐味ですね


こんな感じの道を
しばらく歩いて

着きました!

そして
こーんな感じ


ははは
なんと のどかな😁

何にもないように見えますが
一応
ちゃんとあるんですよ







私がたどり着いたとき
この広い政庁跡にいたのは

修学旅行
中学生か高校生の女子
5〜6人のグループと

私と同世代ぐらいの
たぶん御夫婦
旅行で来たと思うお二人

あとは
100%ご近所の
ワンちゃんの夕方お散歩の
犬友の皆さんの
ワンワンコミュニティ🐶
なっていました

ちょっと 故郷の
登呂遺跡思い出した😊

千年以上前に
ここにいた人々
どんな顔で どんな服で
どんな日本語話したんだろう
などと妄想しながら

帰りのバスの時間まで
静かでひろーい遺跡を
ゆっくりと眺めることが
できました

天満宮が出来るのは10世紀
太宰府が大宝律令
設置されたのは8世紀初頭
ざっくりと
400年間ぐらい続いた役所

他国からの渡来客との
受け入れや交渉の窓口
攻められたときのための
軍事拠点

国の重要な役所のトップとして
赴任する太宰権帥
スーパーエリートのはずで 
交易などで儲けた人もいたらしい

なのに

いまちょうど『光る君へ』
藤原伊周くんが
「俺はどこにも行かん
 太宰府なんて絶対に行かん」
と逃げ回ってますね😁

秋に行った出雲
この太宰府って
身分のある人が罪を犯して
または不本意にも負わされて
左遷という名の流罪になる
代表的な場所なのですね

今回あらためて 
にわか勉強ちょっとしてみて

ああ 左遷の人たちは
権帥みたいにバリバリの
お仕事をするのではなく
身柄をそこで軟禁されて
都人には耐え難い待遇を
されるわけね
エリートの長官とは
別物なんだわ

と理解できました
その頃は
アルファルトの道も
街灯もバスも自転車も
無いですものね

それは…
相当寂しいし 屈辱的だった
でしょうねえ

まして
身に覚えのないことでは

ということで
政庁跡 楽しかったです✨

では また