「あなたが一年前に書いた記事があります。」 | Renge☘️下大静脈平滑筋肉腫

Renge☘️下大静脈平滑筋肉腫

2018年5月下大静脈平滑筋肉腫を地元病院で切除。6月K病院の肉腫科と医療連携。2020年3月再発。下大静脈を人工血管、肉腫と右の腎臓と副腎摘出。10月O大呼吸器外科で肺転移切除。12月睡眠時無呼吸症候群。2023年子宮内膜異形増殖症。5月右肺転移手術。2024年5月左肺転移切除

「あなたが一年前に書いた記事があります。」

と、アメブロからのお知らせで気付きましたが、
2018年4月3日の深夜に、初投稿していました。
「一体何が?」  2018年4月3日

自分の身体に何が起こっているのか?
珍しい病気にかかってしまったようだ。

想像していたより長くは生きられないのか?

いや、希望を持っていたい。

治る為に検査や手術や治療をするのだから、
死ぬことを前提で、後ろ向きの気持ちではいけない。

それでも頭に手術の恐怖と死がちらつく。

遺しては逝けない家族がいるから、まだまだ生きてないといけないんだよ。
「つくしの胞子傘」

2018年3月に腫瘍が見つかり、精密検査が続いていた時期の4月3日の深夜、

どこかで気持ちを吐き出さずにはいられなかったのでしょうね。

勇気を出して、初めてブログのアカウントを作り、
深夜に初投稿しました。

二度目の投稿をする7月30日までの約4ヶ月間、
全く書き込みが出来ませんでした。
手術へ向けて、造影CT、MRI、PET- CT、生検と、精密検査へ通っていた昨年の今頃、
通い続けた病院前の桜は目に入ってなかったです。

昨年は、桜を眺めた記憶がありません。

一年経った現在、手術を受けた病院前の桜を見つめています。
満開の頭上の桜より、不思議と、
桜の木の下の方、地面近くや足元の幹に咲く

「胴吹き桜」「胴咲き桜」「ひこばえ」

に目が留まります。
木の幹や根に近い地面から花を咲かせるのは、
いずれは倒木が心配される古い桜の木。

老木のようです。
光合成する力が弱くなった桜の木が、
緊急的に幹に花を咲かせ、より多くの光のエネルギーを得ている…

少しでも生きながらえる為に緊急事態の光合成をさせている…と聞きました。

老木を守る働きをしているのですね。
そんな「胴咲き桜」や「ひこばえ」、
いずれは切り落とされ、剪定されるのかな。

それまでは、懸命に花を咲かせ、
自分なりの使命、
自分なりの働きをしているのでしょうね。

そんな、「胴咲き桜」「ひこばえ」が愛しく、
病の身として、生き方を教えられる今日この頃です。
この後、桜の花びらは風に舞い、土に還り、
桜の木は葉桜や新緑の時期に入ります。

昨年は、検査や手術、入院中で見つめられなかった桜の木、
今年は様々な想いで見つめてみます。


四旬節  第四主日      カトリック   主日ミサ
典礼文監修: カトリック中央協議会
発行: オリエンス宗教研究所

【集会祈願】


いつくしみ深い父よ、あなたは限りない愛をもって

ご自分を立ち帰るすべての者を迎え入れてくださいます。


回心の道を歩むわたしたちに、神の子供としての新たな命を与えてください。


聖霊の交わりの中で、あなたとともに生き、支配しておられる御子、

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。



【第二朗読】


(皆さん、)キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。

古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。


これらはすべて神から出ることであって、

神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、

また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。


つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、

人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。


ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。


キリストに代わってお願いします。

神と和解させていただきなさい。


罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。

わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。


(コリントの信徒への手紙 二 5:17-21)

ポンペオ・ジローラモ・バトーニ

「放蕩息子の帰宅」  1773年


【福音朗読】


(そのとき、)徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。

すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、

「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。

そこで、イエスは次のたとえを話された。


「ある人に息子が二人いた。

弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。

それで、父親は財産を二人に分けてやった。


何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。


何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。

そこで、彼は我に返って言った。


『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。

ここをたち、父のところに行って言おう。


「お父さん、わたしは天に対しても、

またお父さんに対しても罪を犯しました。

もう息子と呼ばれる資格はありません。

雇い人の一人にしてください」と。』


そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。

ところが、まだ遠く離れていたのに、

父親は息子を見つけて、憐れに思い、

走り寄って首を抱き、接吻した。

息子は言った。


『お父さん、わたしは天に対しても、

またお父さんに対しても罪を犯しました。

もう息子と呼ばれる資格はありません。』


しかし、父親は僕たちに言った。


『急いでいちばん良い服を持って来て、

この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。

それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。

食べて祝おう。

この息子は、死んでいたのに生き返り、

いなくなっていたのに見つかったからだ。』


そして、祝宴を始めた。


ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。

そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。


僕は言った。

『弟さんが帰って来られました。

無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』


兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。

しかし、兄は父親に言った。


『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。

言いつけに背いたことは一度もありません。

それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。


ところが、あなたのあの息子が、

娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』


すると、父親は言った。


『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。

わたしのものは全部お前のものだ。

だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。

いなくなっていたのに見つかったのだ。

祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」


(ルカによる福音書 15:1-3、11-32)

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ

「放蕩息子の回心」 1667〜1670


【共同祈願】

あわれみ深い神に、すべてをゆだねて祈りましょう。


悔い改めて立ち帰る者を迎えてくださる

あなたの愛に感謝します。

恵に満ちた言葉に信頼し、新しい心で生きていけますように。


神はあわれみ深く、ゆるしを与えてくださる。


いつくしみ深い神よ、あなたはキリストを通して愛とゆるしを与え、

すべての人が神に立ち返るようにと招いてくださいます。


秘跡によってあなたの子とされることを望む洗礼志願者を顧み、

罪の重荷と悪のきずなから解放してください。


いつも平和と喜びのうちにあなたに仕え、

永遠に賛美と感謝をささげることができますように。

わたしたちの主イエス・キリストによって。

アーメン。


【拝領唱】

息子よ、わたしは喜ばずにはいられない。


おまえの弟は死んでいたのに生き返り、


失われていたのに見つかったのだから。

レンブラント・ファン・レイン

「放蕩息子の帰還」1666年~1668年頃


放蕩息子のたとえ話

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E8%95%A9%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%88%E8%A9%B1



春休みは、子ども達のインフルエンザA型とB型の看病一色でした。


もうすぐ、私の下大静脈平滑筋肉腫の検査です。


週の後半の一日一日が守られ、支えられます様に。


空を見上げ、心でいつも祈っています。


天上からの眼差しと見守りも、信じています。