腹部に痛みのある家族に付き添い、
私の腫瘍を見つけてくれたかかりつけ医の診察へ。
「大丈夫。帰っていいよ。」
と言われたけど、
「この際、頭のてっぺんからつま先まで、全て検査して下さい。
悪いところがあれば、どうか見つけて下さい。」
くらいの強い気持ちを伝えられるのは、
昨年、悪性腫瘍になった私しかいない…と思ったので、
「いや、私が伝えるから。
検査するかしないか、ここが分かれ道だよ。
命がかかってるから、恥ずかしいとか無いの。
私もちょうど一年前、ここの診察室で、
『検査するの?しないの?』
と問われて、今度にしようか迷ったけど、
勇気を出して、『します』と言ったから、現在、生きてここにいるんだよ。
あなたは多分、『検査、今日はいいです』と断るでしょう?
生きるか死ぬかがかかってるんだから、私が伝える。」
と、一緒に診察室へ。
気が強過ぎて、すみませんm(_ _)m
私の下大静脈平滑筋肉腫の経過観察の検査が、
4月に地元の病院で造影CT、
6月に東京の病院でPET- CTがある中、
家族に病があるなら、私が動けるうちに、
今、ここで見つけておきたい…と、強く思ってしまいました。
診察室では、やはり、病院や検査が大の苦手の家族は緊張し、恐れ気味、遠慮気味だったので、
私の腫瘍を見つけてくれた信頼するかかりつけ医に、
正直な想いを伝えました。
親身になって耳を傾けて下さり、
「多分、大丈夫だと思うけど、ちゃんと診るからね。」
と、職場の検診では無い腹部超音波検査や大腸内視鏡検査など、いくつか検査して調べて下さる事になりました。
予約一杯で、3月末の検査なのが待ち遠しいけど、「大丈夫」と信じて、待つしかないですね。
昨年3月、私の下大静脈に平滑筋肉腫が見つかってから、ちょうど丸一年。
家族が同じ病院で検査した結果、
「そうだったんですね。安心しました。」と取り越し苦労かもしれないけど、
正直、ちょっと胸騒ぎがしています。
頼りたい、弱音を吐きたい、相談したい、怖い…
という気持ちをグッと堪えて、
大人になろう。成長しよう。しっかりしよう。
大丈夫…大丈夫…大丈夫。
大丈夫じゃないと、困る…よ…。
そんな強気の日中から一転、
夜は色々とあり、疲れとストレスがピークに達してしまい、
何も考えたくなかったから、楽しむ為のお酒ではなく、頭をぼんやりさせる為のお酒を飲んで、
電気を消して、暗闇の中で泣きながら、
病院に付き添った家族にメールしました。
この一年、何度も死にたくなった。
今も死にたい。楽になりたい。
もう、本当に疲れたの。
この世のことで、何も悩みたくないし、
悲しみたくないし、
寂しい思いもしたくないし、苦しみたくない。
昔、家族を辛い亡くし方して、
死にたいのに死ねない、辛い人生の幕開けになった。
また、私がこんな病気の中で家族が病気になったら、またきつい人生が始まる。
色々あって、きつすぎて、辛すぎて、お酒がやめられない時がある。
早く、天国へ行きたい。
早く再発転移すれば良いのに…など酷いことを思ってしまう瞬間がある。ごめんなさい。
遺された人は大変なのに申し訳ない。
私が、先ね…。
など、心の闇、酷いことばかりの思いの丈を吐露してしまいました。
「生きよう」
「もう少しがんばろう」
と思い返しました。
周囲の人達に、これ以上心配かけないように、
周囲の人達に安心してもらえるように…
と、強く思いました。
周囲の人達も沢山背負ってるから、安心してもらいたい…ホッとしてもらいたいです。
時々、気持ちがグッと落ちたり、
強気と弱気を繰り返してしまうことがありますが、
少しづつ、気持ちを落ち着けて、生きて行きたいです。
今日は、四旬節第一主日のミサです。
あまり眠らないまま、ミサへ集いそうですが、
祈っています。
お身体を横にされ、心と身体が少しでも安まりますように。
どうか安眠を。
私も少し身体を横にします。
また会いましょう(^-^)
おやすみなさい。
【第二朗読】
(皆さん、聖書には)何と言われているのだろうか。
「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」
これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、
あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。
ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、
すべての人に同じ主がおられ、
御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
(ローマの信徒への手紙 10:8-13)
【福音朗読】
(そのとき、)
イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。
そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。
その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
そこで、悪魔はイエスに言った。
「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
…
そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。
「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。
というのは、こう書いてあるからだ。
『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』
また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。』」
イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
(ルカによる福音書 4:1-13)
【共同祈願】