「なーかめーじゃが、しかたあるめえ。」
男は確か、そう言った。
少なくとも私には、そう聞こえた。
その時私は、神泉にある、イタリア郷土料理とナチュラーワインの店のL字のカウンター席にいた。
斜め前の席の男は、すでに食事を終え、帰ろうとしていた。
予約が困難な店で、私を含め、たいていの客は、次の予約を入れて帰る。
男も例外でなく、会計を終えた後、マスターに次の空いている日時を尋ねていた。
どうやら、男が望んだ曜日は、都合が悪いようだった。
「なんだよ、ヨウちゃん、この日に限って店休みかよぉ。」
なじみの客なのか、男はマスターになれなれしかった。
マスターもマスターで、
「そうなんすよ。この日、岐阜のほうに行かなきゃいけなくってさあ。」
と、男に対してため口だった。
マスターはラップトップの液晶画面を男に見せると、画面を指さし
「こっちだったら、取れるんだけどさ。」
と男に言った。
それを見て男が言ったのだ。
「なーかめーじゃが、しかたあるめえ。」
そして、にやっと笑顔を見せると、席を立った。
店を出ると、店の外で、見送りに出たマスターと男の連れの女がハグしていた。
そのあと、男もハグしていた。
「じゃあ、よろしく。」
そう言い残すと、手を振るマスターを背に彼らは去っていった。
なーかめー。
ナカメ、中目黒のことだろうか?
私は知らなかったが、もしかしたら、中目黒にもこの店の姉妹店があるのかもしれなかった。
しかし、店内に戻ってきたマスターに、私がそれを問いただすことはなかった。
それを知ったところで、そっちに行くことはないだろうし(私は、このイケメンのマスターに会いたくてここに来ているというのもあるのだ。)、隣の友人との会話と目の前の料理がそれを忘れさせた。
それから3週間後、私達、つまり私と、この前一緒だった友人は、再び店を訪れた。
前回訪れた時、空いていた、最短の予約日が、この日だったのだ。
店に入ると、偶然か、あの時の男が、カウンターの、前回と同じ席で飲んでいた。
隣の女性もあの時と同じだった。
私達が着いた席も、前回と同じだった。
食事をはじめしばらくすると、店内が暗くなり、スティービーワンダーのハッピーバースデーの曲が店内に流れた。
男の前にチョコレートでHappy Birthdayと書かれたプレートが置かれた。
私は、つい、男に話しかけていた。
「おめでとうございます。今日、お誕生日だったんですね。」
そんな私に男は、照れたような笑いを見せると、
「本当は、一週間後なんだけどね。」
と言った。それから、
「だけど、その日は店が休みだっていうんでね。」
と続けた。
謎が解けた瞬間だった。
なーかめーは中目ではなく、七日前のことだったのだ。
なのかまえ、なのかめー、なーかめー。
って話を、映画「獄門島」を観て、思いついた。
HBOは、Happy Birthday 俺、の略です。
去年もここで誕生日を迎えていた。
一年、あっという間だな。
毎度毎度、楽しい時間をありがとう!