土佐日記(松ちゃん) | さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

酒場であったあんなこと、こんなこと。そんなことを書いてます。ほとんど、妄想、作話ですが。

以前、といっても俺が大学を出たばかりのころの、まだ二十歳代のこと、西麻布にあるおでん居酒屋で、合同コンパニー、略して合コンをしたときのことなのだけれど、三十路か四十路くらいの、けっこうガタイの良い、BMI30くらいの女性の店員さんに呼びかけるとき「ちょっとお姉さん。」というべきところを「ちょっとお母さん。」と言ってしまって、その店員さんに
「誰がおかあさんや!」
って、ひどく憤慨させてしまったことがあったのだけれど、あれはとても慇懃無礼、今さらながらだけれど本当に申し訳なかったと思う。

高知にも屋台があって、酒場を探してさまよっていた俺は、結局のところその屋台に落ち着いた。
屋台といったら、ビール、餃子、ラーメンだ。まあ、色んな意見はあると思うけど。
高知の屋台は、博多天神なんかの屋台とは違って、リヤカー式ではなく、(もしかしたら俺が目にした屋台がたまさかその形だっただけで、リヤカー型も存在するのかもしれない。)大きく広く、テントといったほうがピンと来る。
時折、秋の交通取り締まり月間みたいなときに、横断歩道脇あたりに、壁のないビニールの屋根だけの小屋が置かれ、中で警官が待機してるって光景をみかけると思うが、あの小屋の大きい版が公園通りに置かれ、その中に調理場、カウンター、テーブル イスが並べられている。
カウンターは満席で、空いていた大型テーブル席の片隅にすわり、とりあえずビールと餃子を頼んだのだが、それが届くより先に、
「相席よろしいですか?」
と店員に尋ねられた。
「もちろん、かまいませんよ。」
と言って背後を振り返りぎょっとなったのは、それが二十歳代の10名くらいの青年団体だったからだ。
俺の周りを10名の青年が取り囲み、一気に俺のaway感は半端ないものとなった。
そんな俺を気遣ってか、青年の一人が俺に話しかけてきた。
どこからきたのか?(どうやら、俺は全く地元民には見えなかったらしい。)にはじまり、なにしにきたのか?ひろめ市場は行ったか?あそこは行ったほうがいいとか、底なしのおちょこで飲ませるのは浜のほうだけだとか、自分は四国から出たことがないだとか、東京行ってみたいなとか、煙草すわないのか?とか、煙草すってもいいかとか、会話のすべて言っていたらきりがないから、この辺にとどめるが、兎角、彼の話は尽きなかった。
俺は彼の話を聞きながら、時に質問に答え、時に相槌を打った。
しかし、そんな彼には申し訳なかったが、正直、ほっといてくれ、という感情もなくはなかった。
ラーメンも食べるつもりだったが、それで、会話が長引くのもうんざりだった。
俺は、ラーメンはあきらめ、この場から離れることにした。
餃子を食べ終え、ビールを飲み干すと、俺は、
「それじゃ!」
と立ち上がった。
袖振り合うも多生の縁だし、俺は一応彼に右手を差し出し言った。
「今日は、いろいろありがとう。それじゃ、元気で。」
彼は笑顔でそれを握り返してくれ、こう言った。
「お父さんも、元気でね!」

ああ、因果応報とはよくいったもの。

ごめんな、姉さん。
俺は20年以上前のことを思い、心で深く頭を下げた。








この隣の屋台での出来事でした。

続く。