難しく考えなければたいていは単純 | さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

酒場であったあんなこと、こんなこと。そんなことを書いてます。ほとんど、妄想、作話ですが。

猫の鳴き声で目が覚めた。
5月終わりの土曜日の朝で、ブラインドの隙間から見える晴天はすっかり初夏のものだった。
「ミャーミャー」
相変わらず鳴き声は続いていた。
飼い猫のとらの餌くれコールかと思いきや、それは窓の外から聞こえていた。
とらの奴、いったいいつの間にベランダに出たのだ?
我が家には猫専用扉なんてものはなく、とらがベランダに出るためには、誰かしらにそのサッシを開けて貰う必要性があった。
俺は昨夜サッシを開けた覚えがない。
いったいどうやって外に出たのだ?まさか自分で開けたのか?
俺はベッドに横たえたまま、ブラインドの隙間からサッシに手を伸ばし、ブラインドを開けることなく、その奧のサッシを、とらが通りぬけるだけの幅だけ開けようと試みた。
しかし、それはいくら力を込めても開かなかった。
どうやらサッシには内鍵がかかっているようだった。
とらがジャンプし内鍵を自ら開けて、前脚でサッシを開き、ベランダに出て、今度は外から前脚でサッシを閉めたというのだったら、あらゆる可能性を考慮すれば、もしかしたら有り得る話にも思えたが、ベランダに居ながらにして内鍵を閉めたというのは、それがとらでなく、俺だったとしても不自然極まりない奇妙で不思議な話だった。
簡単に言えば有り得ない話だ。
結論はひとつだった。
俺以外の誰かが、俺が寝ている間にサッシを開け、とらをベランダに出し、そしてサッシを閉じ内鍵をかけたのだ。
俺の隣では、まだ妻が熟睡していた。
妻がとらを外に出しっぱなしにしたまま熟睡するとは思えなかったが、この家にそれが出来るのは妻しかいない。
とにかく、とらを部屋に入れることが先決だった。
俺は、ベッドから起き上がると、まだ寝ている妻にはまぶしい思いをさせ申し訳なかったが、サッシの内鍵を開けるためブラインドを開いていった。
やはりまぶしかったのか、ブラインドを半分も開けない内から、妻は条件反射的に無言で毛布を引っぱりあげると頭から被った。
俺は窓の向こうに目を移した。
当然、サッシの向こうには、前脚をちょこんと並べて、こちらを見上げながら困惑顔で座っているとらが姿を現せるはずだった。
だから、ブラインドが開いていくにつれ、朝の明るさとともに、そこに俺の知らない小さな黒猫が、俺がとらに想像したのと同様の様子で姿を表した時には、目覚めたら隣に知らない若い女性が寝ていたくらいに驚いた。そんな経験は無いけれど、もしそういう状況になったなら恐らくそんな気分になるのだと思う。兎に角驚いたのだ。
黒く毛染めされたとらにしては、体格がとらの半分くらいしかなかった。
顔付きもどこかあどけなかった。
15階の閉鎖的なマンションのベランダ。
どうやって入ったのだ?
いくら器用な猫だって、自ら壁を伝って上ってくることは無理だろう。
ところでベランダの猫がとらでないとなると、とらはどこに行ったのだ?
「とらー」
俺は、声を張り上げた。
しかし、部屋のどこかにいたにしても、とらがその呼び掛けでむっくり腰を上げ俺の所にやって来るとは思えなかった。
端っから無視するか、せいぜい、前脚に顔を乗せた状態で目を瞑ったまま、尻尾をぱたん。それがいつものことだ。
黒猫はサッシの向こうで相変わらずミャーミャー鳴き続けていた。
俺はサッシを開くと、ベランダにでた。
ベランダにでてきた俺を見ても、黒猫は逃げることもなく、同じ格好で俺を見上げ「ミャー」と鳴いた。
「お前、どうやって入ってきたんだよ。」
屈みこみながら手を差し伸ばしても、猫は逃げることなく、俺に撫でられるままになっていた。そして自らドテリンと床に横たわり腹を見せた。
俺はその柔らかい腹の毛も撫でてあげた。猫は嬉しそうに床を右へ左へと転がった。
猫の首には首輪が巻かれていた。
人慣れしてることと、首輪が付いているところを見れば、誰かの飼い猫なのだろう。
しばらく撫でまわしていた俺だったが、首輪には小さく折りたたまれたメモ用紙が挟まっていることに気付いた。
なんだ?
俺は、それを首輪からひき抜くと中を開いた。
意外にも、それは俺宛の手紙だった。

「おはよう。

きみんとこのとらは預かった。返して欲しかったら、目の前の黒猫の飼い主を探して、今日中に届けてあげてちょ。猫の名前まで当てなきゃアカンで。ほな、あんじょう。

P.S.ヒント24580396。」


誰だ?
どこか見覚えのある筆跡だったが、それが誰のものかどうしても俺には思いだせなかった。
いずれにしても誰かが、黒猫と引替にうちのとらを攫っていってしまったのだ。
わけのわからないヒントを残して。
俺はヒントに書かれた数字の意味を考える。
しかし、5秒見つめても、そこに数学的意味あいは見出せなかった。
こういう時はあわてちゃいけない。
俺は黒猫を抱き抱えると、肩に乗せ、ベランダから部屋にもどり、キッチンに向かうと、冷蔵庫を開け缶ビールを取りだした。
それから、乾燥貝柱があったことを思いだした。
黒猫がそれを好むかどうかはわからなかったが、とらに限ってはそれが大好きだった。俺は黒猫を床に降ろすと、戸棚から貝柱入った瓶を取り、中の一つを、黒猫の前においてみた。
黒猫はしばらくそれを見つめていたが恐る恐る顔を近付けると、匂いをクンクンと嗅いだ。それから、表面を舐めると頭をもたげ周囲を見渡した。
俺と目が合うと「ミャー」と鳴いた。
どうやらお気に召したようだった。
俺は、貝柱を一個口に入れると、噛みくだきながらビールを片手に居間にいき、ソファーに座ると、ビールを飲んだ。そしてメモに書かれた数字の意味を考えた。
24580396
八桁の数字。
23区内の電話番号か?。
しかし、それならば最初は3か5のはずだ。
携帯電話の電話番号か?
頭に090やら080をつけて掛ければ、それはどこかに繋がるのかも知れなかった。
しかし、俺にはとても、それが誰かの携帯電話番号を意味しているとは思えなかった。そんな単純なヒントではないはずだ。
きっと、もっとこう捻りの利いた暗号かなんかに違いない・・・
いつのまにか黒猫が足下にやってきていて、ソファーの下から俺を見上げていた。
俺と目があうと、俺の膝の上に飛び乗ってきた。
ソファーに転がったテレビのリモコンをみつけると、それに興味を持ったのかそちらの方に移っていった。
操作盤を下にしておかれていたリモコンを前脚で器用にひっくりかえすと、
「ニャー」
と鳴きながら、リモコンのボタンを押した。テレビ画面が付いて「おかあさんといっしょ。」を映し出した。
黒猫には申し訳ないが、俺はテレビをみたい気分じゃない。
例の数字に隠された意味の解明で頭がいっぱいなのだ。それを解明出来ないことにはとらを返して貰えないのだ。とらだけじゃない。黒猫だってこのままだ。
俺はリモコンを手に取ると、電源を切った。テレビモニターがまっ暗になって、スピーカーも静かになった。
黒猫が俺を見つめニャーと鳴いた。何かを訴えたいのか、俺を見つめる目をずっと逸らさなかった。しかし、黒猫がなにを訴えたいのかは俺にはわからなかった。
よしよし。
誤魔化すように、俺は黒猫の頭をなでると、リモコンをソファーの上に置いた。
そしてテーブルの上の缶ビールを手に取り数口飲んだ。
そんな俺を見つめながら黒猫はまたどこか訴えかけるような声で「ニャー」と鳴いた。
それと同時にテレビ画面に再び映像が蘇った。
リモコンのボタンの上には黒猫の前脚が乗っていた。
モニターに映し出されているのは相変わらず、NHK教育テレビだ。
俺は肩を竦め、ため息を吐くと、黙ったままリモコンを取り上げ電源をoffにした。そして今度は目の前のテーブルの上にそれを置いた。

おそらく、俺は知らず知らず、ある程度それを予測していたのだと思う。
だから、黒猫がいつのまにかソファーからテーブルの上に飛び乗って、そこに置かれたリモコンをいじり、再びテレビが付けられNHK教育テレビが流れはじめても、驚きはしなかった。
かわりに「やはりな・・・」と呟いていた。
もしかしたら、黒猫はリモコンを押すとテレビが付くという現象になんらかの快感を覚えてしまったのかもしれなかった。
もしかしたら、あの肉球にも似た丸く軽度の弾力のあるリモコンボタンが人間のつぼ押し機のように、猫にとっては気持ちいいものなのかもしれなかった。
いずれにせよ、黒猫はリモコンが気に入ったようだった。
だとしたらこれ以上リモコンを取り上げたところで、無駄なだけに俺には思えた。
結局の所取り上げてみたところで、彼等は飽きるまで諦めない。
飽きるまでやらせるしかないのだ。
俺はソファーから立ち上がると、アンプの消音ボタンを押し、ソファーに戻った。
こうしておけば、音が無い分、いくら画面が変更されても、それほど気にならない。
やはり俺の予想通りだった。
アンプの消音ボタンを押してからも、テレビモニターの画面はぱらぱらと音もなく変わった。
ニャーの声とともにリモコンボタンが押されることもあれば、鳴かずに黙ったまま押されることもあった。


その昼、俺は黒猫を連れてある街にいた。
はじめての街だった。
なぜ、そんな滅多に行かないところにいたか?
言うまでもないが、謎が解けたのだ。
あることに気付いたら、あっけなく謎が解けていた。

ある街が、どこか???


それは・・・・


Yes, 24580!



「さて、後は飼い主とオマエの本名だな!」

俺はそういうと腕の中の黒猫の頭をふわりと撫でた。
黒猫はどこか心配そうに「ミャー」と鳴いた。
大丈夫だ。
ここからは一人じゃない。
俺は、もういちど猫の頭を撫でると、仲間の待つ店の扉をガラリとひいた。

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?

さてと、今夜はどこ行く?


続く