深夜に「最後の講義」の再放送を観た。
  非常に面白かった。
   怪人「みうらじゅん」氏は「自分なんてない」と言い切った。
  また、駐車場や不動産物件の「空あり」の看板を「くうあり」と読み、「ないものがある」とは、どういう意味なのだ? と疑問に感じたと語った。

  その見方は「色即是空」などの仏教概念に通じる見方ではあるだろう。

  彼は、小学生の頃からの仏像ファンでもあるらしい。
 「ウルトラマンの顔の造形は弥勒菩薩像にあり、アルカイックスマイルをしている」と小学生の時に見抜いた話をしていた。

  なるほど。

   しかしながら「大林宣彦」氏は、映画づくりにおいて、もっとも重要なものは「フィロソフィー」であると、何度も力説した。

  自分の「哲学」。すなわち「自分の軸」がなくては、創作行為は成り立たないということだろう。

   そうだろう。そうだと思う。彼にとって、創作活動とは、他者や社会に対するメッセージなのである。
  私もそう思う。よく分かる。

  つまり「みうら」氏と「大林」氏とでは、完全に正反対のことを主張していることになる。

  簡単に言えば、「自分などはない」というみうら氏と、「自分(の考えや信念)というものが必要」という大林氏の対極の考え方や人生観を持った人がいることが示されていることになる。

  その意味で面白かった。
  再放送において、この二つの対極の主張を並べて放送したのは良かったと思う。

  私は、ここに「世代間ギャップ」を見るのである。