この40〜50年の間に、意味が逆転してしまった言葉に「説教」がある。
  以前は、良い意味で使われていたのだけれど、昨今では「悪い意味」の典型で使われている。
 「説教を垂れる人間が最悪の人間である」というフレーズを何人からも聞いたことがある。

  なぜなのか? を、ボクなりに考えてみた。

①誰かに説教をするのは、相手のことを気に入っているか、相手の才能を認めている時である。
   少なくともボクは、嫌いな人間に何かを教えたいとは思わない。

  今の若者たちは「悪意」と受け取っている可能性がある。
  それは、1つに彼らの多くが「イジメ社会」の中で生きてきたからだと考えられる。
  説教・・・つまり、教え説くのは、愛情ゆえなのだけれど、説教される側は「イジメられている」と感じているのかもしれない。

②あまりにも繊細すぎて教えを受け取ることができない。
  たとえば、こちらは500gのプレゼントを喜んでもらえると思って相手に手渡そうとするのだけれど、相手はそれをまるで50kgほどの重さに感じてしまうということがあるのかもしれない。
  この場合は、たしかにありがた迷惑だろう。
  ものすごくデリケートな人が多いことは事実ではある。

③受験勉強のやりすぎで、頭がいっぱい、いっぱい。
  もうこれ以上は、御免こうむりたいという気持ちが強いのかもしれない。
  読書をしない人も増えている。

 ④今は「上から目線」というものを、極端に嫌がる人が多い。プライドが高いせいか、なんでも平等でなければ許せない人が増えている。
  そして、今は年上というだけでは尊敬しなくなっている。
  我々・・・というか、ボクの場合は、より長く生きているというだけで、何かをボクよりも知っているのではないか? と思ってしまうのだが、今の人は、どうやら、そうは考えないようである。
  つまり、尊敬もしていないオマエなんかに、なぜ、オレが教えられなければならないのか? という憤りを感じるのである。

  このフレーズは、ボク自身が実際に20代の若者から言われたことがある。

⑤「向上心がない」という理由も考えられる。 ハングリーだった昔と違い、「今のままでいたい」という人が増えている。
  今のままを維持したいのだから、誰かに教えを請う必要性はないだろう。
  一歩でもステップアップしたいという気持ちがあったならば、おそらく、どんな人の意見でも耳を傾けるものだと思う。

⑥学校教育の中で、悪い意味だと思わせられてしまった可能性もある。
  今、教えているのも若い世代の人々だから、先生自体が悪い意味として認識しているということがあり得る。
 「説教」= 「叱る」「けなす」「おとしめる」などというふうな。

  以上、6つの理由を考えてみたけれど、若者からすれば「ちがう❗️」。「やっぱり年寄りは、何も分かっちゃいない」と思うかもしれない。その可能性は高い。

  言葉に出して説明してくれないから、空気を読み取れない年寄りはどうしても誤解してしまう。、
  できたら、言葉で自分の正直な気持ちを説明してほしいのだけれど、空気を読めない人間も「最悪」と考えられているようである。