喧嘩をしたい、と思う。

 

大人になってからは、他人と本気で喧嘩をすることなんて、そうそうない。

 

もちろん、その「自称大人」が、恥も外聞も年甲斐もなく喚き散らしたり、拳で語り合ったりしていては、稚拙極まれりの様相だろう。

 

だが最近思うのだ。

 

「ディベートって喧嘩じゃね?」

 

おっと、ブラウザバックの予感がするので一旦「ディベートの定義」をウィキパイセンからお借りしてきましょう。

 

ーディベート(debate)ー

とある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう。

 

…とのこと。

 

要するに超広義でいう「討論」である。

一般でのディスカッションや議論とは区別なく、単純な討論のことをそう呼ぶらしい。

 

つまりは言論闘争である!!!

 

…大丈夫ですよ、怖い人じゃありません。

 

誰しも何かしら、YES or NOではおさまらない意見を持っている。

この世は白と黒で分けられた部分よりも、圧倒的に薄鼠色の多いところだ。

 

昨今で言うならば、SNS・オンラインチャット・ビデオ通話、インターネット上に転がるそのどれもが、ディベートに適している。

そしてそれを気づかないままに、発信し、批判し、数多を傷つけてきた歴史もある。

 

しかし、血の気多くも喧嘩を求め、暴力を嫌う人間がいたとすれば、荒れ狂うネットの荒波も、乗りこなさねば満足できないわけで。

 

じゃあサーフィンボードを選ぼうかと店頭をうろうろしていた矢先、見つけてしまった。

 

「配信ってなんぞや?」

 

ご存知の各方々におかれましては、なんやそんなんも知らんのかいなワレ案件であることでしょう。

浅学な身の上ゆえ、失礼する。

 

いわゆる配信というのは、個人で映像なり音楽なり会話なりを全世界に披露できる機能のことを指す。

浅虜に拍車をかけた筆者は考えた。

 

会話も配信できるなら先述したオンライン機能と組み合わせて、合法喧嘩祭りをやれないだろうか?

 

いい案だと我ながら鼻高々になってしばらく、ふと疑問が湧いた。

 

「配信ってどうやんの?」

 

いろいろ調べていくうちに、そこそこいろんなものが必要だと分かった。

しかし、画面上の映像を配信するのとは訳が違うので、コストも多くは無さそうである。

 

一旦道具が揃うところまでは漕ぎつけた。(今朝)

あとは誰かが訪ねてくれることを祈るばかりである。

 

さて、「言論闘争」などと息巻いてはいるが、何について話すのか微塵も語っていない。

多くは不安になるだろう。(主に頭的な意味で)

 

議題は「なんでも」なのだが、本質的に語りたいのは「人に言えないこと」である。

 

政治・心情・性・犯罪・明日や過去・自分のこと・他人のことetc…

 

誰にも語られぬまま墓穴へ入ってしまうような議題で埋め尽くしてほしい。

恥も外聞も年甲斐も関係ない。

 

「多くの言葉で少しを語らず、少しの言葉で多くを語れ」よりも

「多くの言葉で少しを語らず、より多くの言葉でさらに多くを語れ」でありたい。

 

言葉は誰にとっても自由であり、それを受け取るものはより優れていなければならない。

だからこそ、発信する側と受容する側に分けてはならない。

 

交換日記をしよう。幼い頃と同じように。

ありとあらゆるものに押し込められた、くだらない稚拙な趣を、失いたくは無いなとため息ついた午後3時。

 

おやつの時間だと立ち上がる。