村田紗耶香さんの、『殺人出産』を読んでの読書感想文です。

 

村田さんの著書は、他に『コンビニ人間』『信仰』を読んでます。

 

 

『コンビニ人間』『信仰』での感想に、

人間、なにかしらの思考や思想にすがらないと生きていけないんだなあ、というようなことを書きました。

 


 

 

『殺人出産』は短編集で、

他に『トリプル』『清潔な結婚』『余命』と4作収録されている。

 

 

『トリプル』は

恋愛は2人でするもの、という価値観と、

3人でする、という価値観がせめぎあっている。

 

 

『清潔な結婚』では、

結婚生活と性生活は別、という夫婦が主人公で、

周囲もそれを認める価値観ばかりではないけど、

マイノリティとしては認められている様子(医療関係でのサポートがある)

 

 

『余命』では、

寿命も自由に選択できる世の中。

「死に方」がお洒落かどうか、とかを気にするというくらいで、

「生」にも執着がもてなくなっている。

 

 

全体通して思ったのは

『コンビニ人間』では主人公と周囲の価値観の違いは、

主人公の価値観が変で、周囲に悟られてはならないものとして描かれていたのが、

『殺人出産』では、

古い価値観と、今の価値観が混在しており、どちらが正しいかは結論付けられない。

 

 

 

ただ、最後の『余命』を読むと、

寿命がわからないからこそ、「自分の価値観」や「どう生きたい」、がでてきたり、

それに執着して自分の価値観以外のものを攻撃しようとする

 

というのを著者は描こうとしたのかなと。

 

 

『コンビニ人間』では「私がこういう価値観なのを邪魔しないでよ!」というただ叫びだったのが、

『殺人出産』になると、

「価値観は様々」で、それをすべて認めてみたらどうなるか?っていう思考実験段階へと進んだ感じ。

 

 

生きることの意味はあるかないかと誰でも一度は思うことかもしれないけど、

意味を見出そうとすると、躓くなあ、と。

 

改めて思った次第。

 

 

 

 

 

私自身は、「生きることの意味」はあるなしはわかんないけど、

 

ないほうがいいと思っている。

 

だって、「意味」があったら、その意味や価値観に沿わせて自分を律しなければいけなくなるでしょ?

 

 

それは嫌だから。

 

 

 

 

ただ、自分で「意味」を見出すのはアリかな、とは思う。