筋トレするようになって、

筋肉量が増えたというより(ジムに入会次点で40キロはあり増えたといっても1~2キロ)、

見た目が筋肉質にみえるようになると、

 

それまで「痩せたい」としか思ってなかったのが、

「筋肉好き」と自覚するように。

 

 

後付けの理由かもしれませんが、

中学生のころから、ふっくらとか、華奢な感じの女性の可愛さより、

ボーイッシュ、マニッシュな感じが好きだったとか、

 

短大はデザイン系のところへ行って、

「デザインとは機能美」と洗脳?されたこともあって、

 

ただ飾るだけの服やメイクには心ときめかなかった。

 

 

ついでに、実家が美容室やってて、

お客さんをキレイにする裏側で、母親の手荒れがひどかったり、

一人でやってたのでめちゃくちゃ忙しく、お店もしょっちゅう手伝わされた(のはいいとしても)

それでも掃除洗濯、ご飯作りも手伝わないと間に合わなかったり。

 

手伝うのが嫌だったというより、父親が「家にいるんだから隙間で他もできるだろ」

と自分の仕事の経理や仕込みを母親におっつけてたのを、母親が嫌だといいつつ容認してたのが嫌だったのかも。

 

 

で、なんとなくそういう犠牲の上にあった「お客さんのキレイ」がすんなり受け止められなかったのだと思う。

 

 

自分自身は、着飾ることに興味もてず。

 

 

ま、それでも筋肉美は、外側でなく、

内側からの変化というのと、筋肉という体を動かすという機能を兼ね備えたもの、

というのがあって、自分の価値観にしっくりきて。

 

 

けど、自分が筋肉落ちてくると、だんだん筋肉美もなあ、って気持ちがでてきた。

 

機能美かもしれないけど、

見せ筋、ともいうように、見せるために鍛える、って違うよなあ、って。

 

だから、筋トレでなく、土方とか力仕事でついた筋肉とかの方が好きだったり、

サラ・コナーの戦闘に特化した筋肉が、好き!と変化。

 

 

ま、見せ筋も、ただ着飾るよりは本人の努力で成り立ってるものだから、

キライにはなれないけどね。

(着飾るのも、自分にあった色や形、流行追うにしても取り入れ方等、情報得たり大変だと思うので、

 否定してるわけでなく、自分の価値観に合わない、というだけ)

 

 

ただ、断捨離はじめてみると、

「機能美」がいい、という自分には、「機能」しているものだけ残す、という作業は症にあった。

 

けれど

あんまり「機能」にこだわると、

必要でないことをしていると、これでいいのか、という気持ちにもなる。

 

 

昨日「寂しい生活」を読んで書いたことにもあるように、

生きてる、って必要でないことも認めれることで豊かになるよな、と

囚われている自分に言い聞かせるのであった。