パリ中心部から高速鉄道で45分程移動し、
ついにヴェルサイユ宮殿へ!
マリー・アントワネットがウィーンからこのヴェルサイユ宮殿に嫁いできたのは、まだ彼女がわずか14歳の時でした。
↓最寄りの駅からワクワクです!
ブルボン王朝の最盛期を築き、太陽王とも呼ばれたルイ14世が、1682年に建てたヴェルサイユ宮殿。
フランス絶対王政の象徴でもある、豪華絢爛な宮殿にとんでもなく広大な庭園で、1795年にフランス革命が起こるまで、政治の中枢、そして歴代国王や貴族の住居として利用されてきました。
フランス革命以後は、崩壊した王家の象徴として常に取り壊しが検討されてきましたが、20世紀後半に入って宮殿の修復が本格的に開始された事で、当時の美しい姿を取り戻していきます。1979年にはユネスコの世界遺産に登録され、世界を代表する人気観光スポットとなりました。
ご覧の通り、大快晴!
ミュージアムパスと、
宮殿やガーデンへの入場券。
ここからがあまりに広大なので、宮殿や庭園を網羅したいのであれば6-7時間は必要、とガイドブックに書いてあったりも。もし足をお運びの際は、早めの午前中からの入場をオススメします!
お土産屋さんも素敵でした。
意外にも、宮殿中は撮影OK。
王室の礼拝堂
ヘラクレスの間
ルイ16世の部屋や調度品も見る事が出来ました。
こちらは寝室。
あまりに膨大な写真になったので、
これらはほんの一部。
そして、最大の見どころでもある、鏡の間(鏡の回廊)。まさにマルグリットが劇中で歌う、♪100万のキャンドル のごとく、鏡も相まって数えきれないほどの巨大なシャンデリア(当時はもちろん全てが蝋燭)が続きます。
当時は、公的行事や外交の場、祝宴、
仮面舞踏会の場所としても利用されていました。
大きな窓により自然光がよく入り、豪華絢爛で開放感に満ち溢れていますが、キャンドルが灯される夜もきっと素敵でしょう。
まず到着したのは、プチトリアノン。
元々はルイ15世が愛人のデュバリー伯爵夫人のために建てた小宮殿でしたが、後にルイ16世がマリーアントワネットにこの宮殿を贈りました。
アントワネットはこのプチトリアノンを大変気に入り、大規模な内部リフォームを施して、その多くの日をここで仲の良い友人仲間やフェルセン伯爵などと過ごしました。堅苦しく過剰に装飾された宮殿とは真逆の、まさにアントワネットの小さな癒しの隠れ家。プライベートを守るため、外からは中の様子がわからないよう、窓には工夫がされています。
プチトリアノンで念願のマリーと会えました!
マリーもフェルセンも、絶対のぼった階段。
プチトリアノンを出て、
離宮内の次なる目的地へ・・・
自然に囲まれた小道を歩いていきます・・・
野生のインコも飛んでいました。
ついに到着したのは・・・
マリー・アントワネットが、のどかな農村を再現させた、王妃の村里。
どこから眺めても絵画のようです。
宮殿庭園の噴水なども同じですが、当時は10キロ以上離れたセーヌ川の水を特殊な機械でひっぱっってきて、その水を膨大に貯水し、庭園内に巨大な池や噴水を出現させていました。その技術や風景そのものが、富や権力の象徴としても崇められていました。
ミュージカル『マリー・アントワネット』では、ここ王妃の村里で、フェルセン伯爵が♪遠い稲妻 をマリーに歌いかけます。
偶然にも、この日のこの時間帯からは遠くに雨雲がたちこめていて、もうちょっとで稲妻落ちてくるかも?笑 な雰囲気でした。
ここでは、鳥や羊なども飼育されています。
ご覧の通り、のどかでおとぎ話のような穏やかな場所。マリーは多くの時間を自分の子供達とここで安らぎのひととき過ごしていました。
鳥たちのヴェルサイユ行進?
池を眺めるちょっとした芝生の丘もあり、
まさにピクニックにぴったりです。
畑なども再現されています。
ただし、これらの疑似農村を作るために多額の税金が使用されていることで、マリーは貧しい民衆から大きな反感を受けました。
そして、これまたここから小道を少し歩いて行ける距離にあるのが・・・愛の殿堂!
これまたギリシャの絵画のようです。
ここでマリーとフェルセンは、
夜な夜な密会していたそうです。
閉館時間ギリギリまで過ごし、
プチトリアノン前の停留所へ戻ります。
こちらの乗り物の最終便で、宮殿に戻りました。乗り心地は・・・見た目の100倍揺れます!
パリに戻ってからはジェラートで締めました!
初めての宮殿訪問で閉館時間も差し迫り、後半は駆け足になってしまったので、またもう一度ゆっくり訪れたい、大満足のヴェルサイユ宮殿でした!
(撮影日 2023年6月下旬)