ノートルダム大聖堂から徒歩で数分、

セーヌ川沿いにある恐怖のコンシェルジュリー。 

この牢獄に入ると二度と出てこられず、かならず死刑になると言い伝えられ、「死の牢獄」「ギロチンへの控えの間」などと呼ばれていました。


マリー・アントワネットが投獄されたのは1793年。マリーは2ヶ月半ここの独房で過ごし、コンコルド広場にてギロチンで公開処刑されました。享年38歳でした。


コンシェルジュリーは、フランス革命時には4,000人以上の人々が収容された歴史的建物。2,600人もの貴族や革命家たちも最後の時を過ごしました。

6日間のパリ・ミュージアムパスは、ビジュアルがマリー・アントワネット。コンシェルジュリーの入口には、日本語の見学ガイドも置いてあります。

それでは内部を見学。当時は隣接するセーヌ川の水が浸水したり、陰湿でネズミも走り回り、衛生管理も非常にずさんな場所だったそうです。


 

コンシェルジュリーは、

セーヌ川に挟まれたこちらのシテ島にあります。

ギロチンの絵画展示も。

ギロチンは大きな斜めの刃をストンと落として首を切断するという、非常に残忍な処刑方法ですが、本来は囚人が命を落とす際に苦しまないように、という人道的な要素から生まれたもの。

ギロチンが使われる以前は、ノコギリで首を切るもののなかなか一度に切ることが出来なかったり、非常に暴力的でひどい拷問を与えつつも、なかなかすぐには死にきれず、死刑囚は何日も瀕死の状態で苦しみながら生き絶えることもあったそうです。


こちらがマリー・アントワネットの独房の入口。現在は小さな礼拝堂に生まれ変わっています。

独房にあるたったひとつの窓には、現在はアントワネットのイニシャルである、MとAが重なった印象的なロゴによるステンドグラスが。

こちらがまさにその独房エリア。ほんの数畳程度の、暗く閉鎖的な小部屋です。太陽はあたりません。マリーはここで2ヶ月半過ごしました。


ステンドグラスとともに。

こちらは、他の囚人が散歩出来る中庭(外)から見た、アントワネットの独房窓。


お土産コーナーにはアントワネットやルイ16世、革命家たちのグッズや書籍など、沢山置いてありました。


死刑が確定し、ここからギロチンのあるコンコルド広場まで移動するマリーは、あまりの極限状態により真っ白な髪の毛になりながらも、気高く胸を張って自ら歩いたと伝えられています。

後日そのコンコルド広場も訪れたので、

そちらも後ほどレポートします。


様々な想いを馳せ、

コンシェルジュリーを後にしました。


以上、こちらのブログではコンシェルジュリーの一部のみご紹介しましたが、ファンクラブ限定動画『裏!MARIO CAPRICCIO』では、15分弱ほどの自撮り動画にて、コンシェルジュリー内部をもう少し詳しくご案内!

本日、19時頃に公開予定です。

会員の皆様は是非ご覧下さい!


この翌日は、

いよいよ豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿へ!


宮殿内はもちろん、プチトリアノンや王妃の村里(フェルセン伯爵が♪遠い稲妻 を歌うシーン)なども訪れました。ようやくマリーの華やかな時代を感じることが出来ます!


・・・とその前に、コンシェルジュリーを出た後はセーヌ川沿いを歩き、そのままノートルダム大聖堂へ!



次回もお楽しみに!!!


(撮影日 2023年6月下旬)