ミュージカル『エリザベート』の劇中では、基本的には史実に基づいたエピソードが描かれ、そこに舞台化の為に創作されたものが新たに加わっているシーンが沢山あります。


しかし!

昔々、遠い遠いある国に暮らしているお姫様のおとぎ話と思いきや、たった100年ちょっと前の史実。日比谷の帝国劇場が開館した当時だって、まだ皇帝フランツ・ヨーゼフは存命していて現役の皇帝でした。

劇中の台詞や歌詞だけでは読み取れない様々な隠されたエピソードや、登場人物の必然性、そこに至る意味を知れば知るほど・・・

それが実に、超面白いのです!!!

専門家ではないのであくまでここから先は個人的な考察ではありますが、様々なハプスブルクの関連書をそれぞれ照らし合わせていくと、歴史なので当然諸説ありながらも、その中でもいくつかの点と点が繋がり、一瞬とはいえこの作品にわざわざ描かれているシーンや、たった一声だけでも登場してくるその人物達に大きな意味を見出すことが出来、時には感動するほどの新たな視点が見えてきます。

若干22歳の皇帝フランツ・ヨーゼフの最初の登場シーン【皇帝の義務】ではそれが顕著で、謁見を仕切っているグリュンネ伯爵は、経験豊富で帝国の旧体制に保守的な人物。実際に、若き皇帝フランツ・ヨーゼフの最も身近に仕え、フランツの皇帝としての公的な文書は全てグリュンネ伯爵のもとで起草されていたそうです。後にバートイシュルでフランツとシシィが婚約し、後日2人が初めてあの美しいハルシュタット湖(現在は世界遺産となっています。)までデートした時も、2人が乗る6頭立ての馬車を駆っていたのは、グリュンネ伯爵。皇帝であるフランツにプライベートというものはありませんでしたが、まさにフランツが公私共に大信頼を置いている側近でした。

次はクリミア戦争の情勢について発言するシュヴァルツェンベルク侯爵。役職は、なんとオーストリア帝国の首相。シュヴァルツェンベルク侯爵は若きフランツが即位すると同時に直接政府の組閣を委ねられ、経験の浅いまだ18歳のフランツに数多くの政治的助言をし、若き皇帝を支えていた老臣重鎮のひとり。皇帝が政治的に大信頼していたこの重鎮が後に心臓発作で亡くなると、彼と同等の優秀な人材がいないため、オーストリア帝国はしばらく首相不在となり、若きフランツ・ヨーゼフがその任務も兼任することになります。フランツはその後の政治的な舵取りに非常に手こずりますが、これにより帝国での絶対的権力が若き皇帝ひとりに集中し、益々母ゾフィーの確かな助言も大きな役割を果たしていきました。ちなみにミュージカルでは史実と少し異なり、実際のシュヴァルツェンベルク侯爵は皇帝の義務のシーン(ルキーニの台詞通り1853年)どころか、クリミア戦争(1853年~)の発生の前年(1852年)に51歳で他界している為、シュヴァルツェンベルク侯爵が1853年に王宮の謁見でクリミア戦争について語っているのは、史実ではありえない、あくまで当時のハプスブルク帝国の政治の関係性や時代の流れを集約した創作シーンとなります。

ちなみに・・・演出の小池先生もかつて稽古場で仰っていたのですが、今回の舞台でシュヴァルツェンベルク侯爵を演じていらっしゃる朝隈濯朗さん。本物のシュヴァルツェンベルクと朝隈濯朗さん、スタイルやジェントルマンなスマートなお顔立ちが、どこか似ていらっしゃる気がしませんか!?

そしてウィーン大司教ラウシャー。実際にシシィとフランツのアウグスティン教会での結婚式で、宣誓や誓いの言葉などを執り行った人物です。しかし劇中では、口を動かしているのはラウシャーでありながら、実際に声を発しているのは黄泉の帝王トート・・・この結婚の誓いの言葉のシーンで歌われているお祝いの大合唱が、既に二幕フィナーレの♪悪夢 のメロディとなっていることに、シシィもフランツもまだ気付いていません。ラウシャーは、結婚式での皇帝夫妻への婚礼の挨拶が永遠に続くのではないかと思わせるほどあまりに長く、その後、おしゃべり大司教とも呼ばれていたそうです。『マリー・アントワネット』のロアン大司教や『モーツァルト!』のコロレド大司教にしても、高潔な聖職者が実は陰で・・・というのは、どの時代も何かと話題になっていたようですが、二幕でのラウシャーの聖職者ならぬ重鎮達やゾフィーの悪事の企ては、あくまで舞台化の為の創作のようです。※これについては後述します。


そして個人的に特に興味深いのは、
死刑囚の母が登場するシーン。

『もう1人の母親』

とルキーニに紹介されて謁見の間に駆け込んでくる彼女ですが、一見すると、支配する側(母ゾフィー)と支配される側(死刑囚の母)、2人の母親の対比や、若きフランツの政治的葛藤を表す為にこのシーンがあるのかなと思いきや、真相はもっともっと深~いところにありそうなのです・・・

時は1853年・・・

18歳で皇帝になり、早くも即位5年目となる22歳のフランツ・ヨーゼフが、避暑地バートイシュル(日本で例えるなら軽井沢のようなところ)で、バイエルン公女ヘレネとお見合いしたにも関わらず、実際に一目惚れして選んだのは妹エリザベート(シシィ)。というのは、皆さんご存知の通り。

しかしこの歴史的なお見合い・・・

真夏の8月に、
避暑地バートイシュルで・・・ではなく!

本来はその半年前!

真冬の2月に、
ウィーン市内の舞踏会にて、
行われる予定だったのです!

※ウィーン市内からバートイシュルへは約260キロ。ちょうど、東京から静岡の浜名湖あたりの距離にあたります。

ところがその2月のウィーン市内でのお見合いの当日、儀式が執り行われる直前に、歴史を変える大事件が起こります。

その日お見合いを控えた皇帝フランツ・ヨーゼフは、正午に散歩をし、市内のホーフブルク宮殿の近くで軍事訓練を視察していました。

そこでフランツに運命を変える出来事が。

市民に紛れていたヤノーシュという若いハンガリー人の男が、ナイフを持って突然フランツを襲ったのです。

フランツはナイフで首から胸まで深く刺され、後頭部の骨が損傷。血みどろで一時は失明寸前の大怪我を伴う、悲惨な暗殺未遂にあってしまいます。近くにいた市民の叫びによりフランツは驚いて咄嗟に振り向き、幸い致命傷は免れ、すぐに犯人は取り押さえられ捕まりました。(その時の様子が、このブログ冒頭の絵画です)

フランツは瀕死の重症。
当然、その日の夜のヘレネとのお見合いは、
急遽中止に!!

ちなみに、この日のお見合いには、
シシィは参列する予定がありませんでした。

犯行の動機は、4年前のハンガリーマジャール人への制圧や刑罰に対する皇帝への報復でした。(当時フランツは、独立を企てたバチャーニ・ラヨシュ元ハンガリー首相などを反逆罪として処刑しています。この人が劇中では革命家エルマーの父という設定。)

犯人の若い男は、『エーヤン!(万歳!)コッシュート!(=独立運動の革命指導者) 』そして、『ハンガリーを共和国に!』と、帝国からの自由を叫んでいたそう・・・

そんな通り魔のようなテロにあったフランツですが、頭から血を流しながらも、犯人を取り押さえた者たちに対し、『彼を殴ってはいけない、殺してはならない!』と叫んだそうです。

何とか一命をとりとめたフランツ・ヨーゼフは、後日、皇帝として犯人に対して寛容な減刑を望みます。しかし後の議会(ゾフィー含む)による反対もあり、フランツの意向は受け入れられずに、ヤノーシュの死刑が確定。

その代わり、フランツはせめてもの計らいで、その死刑囚の母親に【帝国から生涯年金を交付するよう】命じたそうです。

この死刑囚の男は、歴史はもちろん、フランツとシシィの運命を大きく変えた人物だったのです。

この人物を、ミュージカル『エリザベート』の死刑囚の母【の息子】と仮定し、この史実の流れを把握して脚本を読み解くと、

死刑囚の母が歌う、
息子は自由と叫んだだけ 
ご慈悲を陛下!死刑はやめて!

というたった4小節のフレーズが、単に抽象的に当時の情勢を伝えているものではなく、非常に具体的なストーリーを伝えているのではないかと考えられ、

ゾフィーが歌う
結構ね

と、ゾフィーが自分の息子(フランツ)を殺そうとした死刑囚の母に対し、冷たく当たるのも当然で、

フランツとゾフィーが歌う、

もし選べるのなら
寛容で善意の
名君と呼ばれたい

強く 厳しく
冷静に 冷酷に

・・・却下!

と受け答えるのも、
全て腑に落ちてきます

こうした背景を知ると、彼女が何か言葉を発する前、もはや死刑囚の母が謁見の間に現れただけで、フランツとしては様々な感情が溢れてくるのです。

フランツは重症で、回復まで何ヶ月もかかったそうです。もしこの暗殺未遂事件が当日起きなければ、きっと皇室の慣例通りフランツは舞踏会でヘレネと婚約をし、この二人が皇帝皇后になっていたでしょう。(前述の通り、シシィはまだ幼く、この舞踏会には不参加でした)

朝5時には皇帝執務室に入り、毎朝欠かさずに帝国各地から届いた山のような嘆願書や報告書など、その全てに目を通し署名していたフランツ。

↓フランツ・ヨーゼフによる直筆サイン

多い時には1日に100人もの請願者を応接したそうです。そんな日々のワンシーンが【皇帝の義務】の一瞬一瞬に凝縮されています。

それから半年が経ち、

完治とは言えないまでもだいぶ回復したフランツのもとに、たまたま社会勉強の為に、フランツ・ヨーゼフの誕生日に合わせてセッティングされたバートイシュルのお見合いに連れて来られた15歳のシシィ。(結婚したのは翌年、16歳の時)

これまたちなみに、ルドヴィカ・ヘレネ・シシィの御一行は、直前に身内の不幸があった為に、実際には全員喪服でバートイシュルに到着し、着替えを乗せた馬車が遅れていた為に、すぐ着替えることも出来なかったそうです。

ということは、史実では、フランツは喪服のシシィに一目惚れしたことになります。

これも何かを暗示していたのでしょうか・・・。

※過去のウィーン版の『エリザベート』では、幸せ絶頂の『♪あなたがそばにいれば』のデュエットを、史実通り喪服を着たシシィが歌った演出もあったそうです。

劇中、2幕の♪夜のボートで、
シシィは喪服を着用しています。

(尊敬する女帝マリア・テレジアと同じく、ルドルフが亡くなってからは、日々喪服ばかり着ていたそうです。)

フランツが愛を伝え続けた、
皇帝夫妻の最期の語り合い。

68歳の老皇帝フランツの目線の先にいるのは、
かつて一目惚れした、喪服のシシィなのです。

他にも、ゾフィーが病気持ちの娼婦マデレーネをあてがう、マダムヴォルフのコレクションやフランス病のくだりは史実ではなく、ミュージカル版の創作にあたります。フランツもシシィも過ちはいくつかありましたが、ドクトル・ゼーブルガーという宮廷医師は実在したものの、劇中のシーンではトートが扮しているので、そもそも信頼の出来ない診断・病名かもしれません。フランツもマデレーネとは決定的な過ちは犯さずとも、シシィに誤解されてもおかしくない状況を知られてしまったのかもしれません。これらには正解はなく、脚本に余白があることで様々な想像が働き、より作品を深めていると思います。

シシィを暗殺したルキーニは、死後、ジュネーブで脳を解剖され、ホルマリン漬けにされます。その後ウィーンの「狂人の塔」と名付けられた旧精神病棟、現解剖病理学博物館に保管され、現在はウィーン中央墓地の解剖者墓地に埋葬されています。僕も訪れたことがあるこの広大な墓地には、ベートーヴェンやシューベルト、ブラームスやシュトラウスも眠っています。

また、シシィの美しさを象徴する、
シシィ・スター(星の髪飾り)のアクセサリー。

これは、シシィがモーツァルトのオペラ『魔笛』を観劇した際、登場人物である 夜の女王 がつけていた星の髪飾りを大変気に入り、それを知ったフランツが皇室御用達の宝石商にシシィの年齢と同じ27個をダイアモンドでオーダーメイドし、そのシシィ・スター(Sisi-Stern シシィ・シュテルン)を、二人の結婚記念日にプレゼントしました。


劇中では、1幕ラストやカーテンコールでシシィがつけてくれていますが、自分がプレゼントしたシシィ・スターをつけ、神々しく光り輝く美しいシシィは、フランツにとって、もはや愛の結晶。こちらも、シシィが登場しただけでそれ以上の想いが溢れてきます。



以上、大変長くなりましたが、何も前知識のない状態で観劇することも、最初の一回目しかない貴重な楽しみ方!そして、作品の背景を知ることで、信じられないほどより深く作品を味わうことも出来るのです。僕も、演じながら毎日毎日発見と感動の連続!


2022年、今年は舞台としては『ラビットホール』、『ガイズ&ドールズ』、『エリザベート』と続きました。


この年末年始、フランツ・ヨーゼフを演じることが出来、本当に本当に幸せです。


今年も残りわずか。


来年は、『エリザベート』、『マチルダ』、『アナスタシア』と続きます。


それでは!


皆様!良いお年をお迎え下さい!