Tutto a te mi guida
(トゥット・ア・テ・ミ・グイダ)
=全てが我が身を御身に導く」

ミュージカル「マリー・アントワネット」には、1幕の前半、マリーとフェルセン伯爵のデュエットナンバー「あなたに続く道」という楽曲があります。

この「あなたに続く道」はこの作品を大きく包みこむテーマソングと言ってもは過言ではなく、意味深な楽曲のタイトルや歌詞には、実在したマリーとフェルセンの2人が想いを込めた、驚くべき秘話が隠されています。

フランス革命やマリー・アントワネット、アクセル・フォン・フェルセン伯爵に関する書籍や歴史小説は数多く存在していて、中にはふたりのロマンスや葛藤がまるでドラマや映画のように事細かに描かれ、とてもイメージがしやすいのですが、そこには当然、作者による必要な色付けや創作が含まれてきます。

そんな中、実在したマリーとフェルセンは、数え切れないほどの手紙のやりとりを実際に行い、時にはフランス語、時にはイタリア語、時には検閲を逃れるためにフェルセンが考案した複雑な暗号文や特殊インクや炙り出しなどを駆使した、国境や苦難を越えた二人だけの秘密やりとりが数多く実存します。

その大部分は政治や外交についてではありますが、書き出しや文末では、お互いいつも愛に満ち溢れています。


1791年10月29日、
フェルセンからマリーへの手紙
気も狂わんばかりにあなたを愛し、
 命尽きるまで愛し続けます。


とフェルセンが熱烈なラブレターを送れば、 


1792年1月4日、
マリーからフェルセンへの手紙
気も狂わんばかりにあなたを愛し、一瞬たりともあなたを愛さずにはいられないことを記しておきます。
 

と、二人とも伏せ字では迷いのない、
情熱的な愛の言葉の数々。

この残された手紙は想像や色付けされたものではなく、正真正銘の本人自身の言葉になるので、それぞれがどんな人物で、どんな状況で、どんな関係性だったのか・・・どの資料よりも「真実」を読み取ることが出来ます。

その手紙の多くは、当時外交的にも王宮的にも大きな問題となることを恐れ、フェルセン自身が重要な部分(お互いの決して知られてはいけない溢れる程の愛の言葉や、絶対に隠さなければならない政治に関する部分)を塗りつぶしたり、焼いてしまったり、後にスウェーデンのフェルセン家の人間が処分してしまいましたが、その中でもいくつかは現存していたり、当時フェルセン自身が処分する前に自身で多くの手紙をそのまま律儀に書き写して控えを残していたものがあります。

想像や色付けではない、アントワネット自身の言葉やフェルセン自身の言葉がそれぞれ直筆で今なお現存し、塗りつぶされた部分や暗号部分は近年も研究が進んでいて、200年以上を経てもなお、ついここ数年前に解読されたばかりの手紙まであります。

このような実際のふたりの手紙のやりとりを読むと、様々な書籍や実際の記録の点と点が繋がり、2人の壮大な歴史ロマンを感じ取れることが多々あります。



ここで本題に戻ります・・・(笑)



ある日、マリーはフェルセンが身につけていた指輪に目が止まり、その素敵な指輪はどうされたの?と問いかけます。

その指輪にはイタリア語で、
Tutto a te mi guida(トゥット・ア・テ・ミ・グイダ)=全てが我が身を御身に導く」と刻印されていました。

フェルセンは、かつてイタリアでその指輪を購入したことを告げると、その指輪を愛を込めてそのままマリーにプレゼントしました。

マリーは後に、そのイタリア語の刻印の他に、自分のブルボン家の紋章ではなくフェルセン家の紋章(羽の生えた空飛ぶ魚)を新たに刻印(実際にはカモフラージュの為か、空飛ぶ魚ではなく空飛ぶ鳥を刻印)し、今後の2人の秘密の手紙のやりとりの際、封をする際に蝋を溶かしてこの指輪を使って最後に印章として使いますと提案します。(当時、首飾り事件だけでなく、王妃になりすました手紙なども数多く存在したそうで、この指輪の印章が、二人にとって本物の手紙であることの証でもありました。ちなみに、マリーはフェルセンに王家のユリの紋章が記された指輪を贈っています。)

マリーは以後、監禁された時期にもその指輪を大切に身につけ、今も当時も婚姻や愛の証とみなされる「左手の薬指」につけることもありました(その指輪を身につけた肖像画まで現存しています。)

ちなみに、マリーからフェルセンに送る際の印章はこの秘密の指輪でしたが、フェルセンからマリーに手紙を送る際は、フェルセンは「A A」の二つのAをくっつけて、「M」のようにも見える記号を用いました。

これもまさに、もうひとつの「MA」
上記の記号でAMAという三文字になり、Ama(アーマ)はイタリア語で「愛する」という意味にもなる為、Axcel ama Marie-Antoinette=「アクセル(・フォン・フェルセン)は、マリーアントワネットを愛する」というメッセージを込めていました。

それぞれこの印章を用いながら、何年も何通にもわたる手紙のやりとりを行った2人でしたが、その想いも虚しく、マリーはフランス革命の犠牲となり、フェルセンを残してこの世を去ってしまいます。

しかし!

先程の「Tutto a te mi guida(トゥット・ア・テ・ミ・グイダ)=全てが我が身を御身に導く」の物語には、まだ続きがありました。


1793年10月16日のマリー亡き後、数ヶ月経って抜け殻になっていた傷心フェルセンのもとに、予期せぬ手紙が届きます。手紙の仲介者のもとで留まってしまっていた生前のマリーからの手紙が、彼女の死後3ヶ月経った1794年1月21日に、フェルセンの元に届いたのです。

そこには近況の知らせと共に、
最後にこう記してありました。


1794年1月21日(死後3ヶ月後)受領
マリーからフェルセンへの手紙
「私の指輪の印章を押したものを同封します。今ほど、この言葉が真実だったことはありません。」


Tutto a te mi guida
=全てが我が身を御身に導く(あなたに続く道)



マリーがこれ書いた時、もう自分は助からないことを理解した上で、この指輪の言葉をフェルセンに送ったかもしれません。この先どんな運命を迎えたとしても、たとえ肉体がなくなり魂になっても、進むべくその全ての道は、あなたへ続く道だと。


そしてさらに翌年、フェルセンの日記の1795年3月19日の欄には、この日コルフ夫人から受けった、「マリーからフェルセンへの最期の手紙」が貼り付けられています。


フェルセンはこの日の日記に、

「コルフ夫人から彼女(マリー)が書いた私への短信を受け取った。これは、彼女(マリー)の最期の言葉だったと思われる、私は激しく感動している。」(1795年3月19日フェルセンの日記)


と記しています。






マリーがフェルセンに残した最期の言葉






それは・・・








「さようなら 


 私の心は、あなたのものです。」











今回のミュージカルの劇中では、まだ革命前の1784年、マリーとフェルセンの再会のナンバーとして「あなたに続く道」のデュエットが登場します。


セリフや歌詞以外にも秘められた、

真実の物語。
 


是非、劇場で見届けて頂けますように。



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