父が自らのブログで告白したので、
今だから言えますが僕からもご報告しておきます・・・・

関係者の方々にはご心配とご迷惑をおかけしておりますが、
父の希望もあり、この場を借りて、正しい経緯をお知らせ致します。

先月の12月21日、
父の田代誠に突然命の危険が訪れました。

21日の夕方、僕が銀河劇場から早めに帰宅すると5分も経たずに、父が出演するベートーヴェンの第九を客席で観ていた父の門下生から電話がかかってきました。

父が倒れ、救急車で運ばれたと。

後々詳しく聞くと、第九の本番中、4楽章のテノールソロの後に猛烈な胸の痛みが走ったそうです。あまりの苦しみに楽譜を手から落としてしまったそうですが、既に自分で拾うことも出来ず、隣のバリトンソリストに拾ってもらったそうです。オーケストラ、合唱団、そして客席の観客という何百人で創り上げている第九を、父は痛みに耐えてその後も数十分最後まで歌いきったそうです。

カーテンコール後、舞台からそのまま楽屋で倒れ込み、共演者やスタッフに心配されながらも『ただの貧血です』と言い張る父でしたが、尋常でないあまりの苦しみように、合唱団のメンバーにお医者様が偶然にもいらっしゃったそうで、楽屋で診察をしてもらいました。診察の結果、これは大至急救急車を。とのことで、父は燕尾服のまま救急車で運ばれました。

この時点で僕のもとへ連絡が入り、すぐに母と2人で車で病院へ向かいました。しかし、運転途中でまた連絡が入ります『搬送された病院では手に負えないので、もっと設備の整った大きい病院に搬送します。』とのこと。家族が来ないと搬送出来ないということで、大急ぎで向かいました。病院へ着くと、第九の共演者や関係者が待合室にいらっしゃり、すぐに父のベットに駆けつけましたが、まるで父とは思えない程の苦しみの表情でもがいていて、あまりに驚き呆然としてしまいました。意識は辛うじてありましたが、息が殆ど出来ないようで、ほぼ会話は不可能でした。

大至急、大きい病院へ再度救急車で移動するということでしたが、今の父の状態は、搬送中に死亡する確率も非常に高いとお医者様から伝えられました。しかし、このままこの病院に居ても救命手術は出来ません。ということで、最初の病院の先生も救急車に同伴する形で搬送をすることになりました。

なんとか無事に大きい病院に搬送され、新しい主治医の方から病状を説明されました。病名は急性大動脈解離。突然死が多く、病院に搬送されるまでに半分の方が亡くなり、病院に搬送されても実際に手術に耐えられる方がそのまた半分。死亡率は70%です。今から緊急救命手術を行いますが、心臓を一時的に止めて人工心臓で代用し、大動脈の一部を人工動脈に取り替える10時間以上かかる大手術になります。最善を尽くしますが、手術中に急変することもありますし、全身麻酔で眠らせますが、そのまま目を覚まさずに植物人間・脳死になる可能性もあり、最悪のケースは亡くなってしまうこともあります。とのことでした。第九終演後、合唱団メンバーにお医者様がいらっしゃらなかったら、早期に適切な処置が行われていなかったら、おそらくその時点で助かっていなかったそうです。

手術するには数えきれない程の書類に家族がサインをしなくてはならないのですが、突然命に関わる膨大な情報を説明されても頭に入る訳がなく、母は愕然としてしまっていましたが、サインを早くしなければどんどん時間が経つばかり、手術をしなければ、100%死亡すると伝えられ、母と僕の2人でサインをしました。どれも、最善は尽くしますが絶対の保証は出来ません。というような内容だったと思います。この時、なんだかまるで父の死亡届に無理矢理サインをしたような辛い気持ちになってしまいました。

サインをし、手術直前に父がいるICU(集中治療室)へ母と入りましたが、そこには救命の機械やチューブに埋もれた父がいました。息が苦しそうでしたが、意識はあり処置のおかげで少し会話が出来ました。しかし、救命率の低さ、そして難易度の高い手術ということで、お互い会えるのはこれが最後かもしれないという覚悟で手を握りました。

夜の9時半から手術開始。それから集中治療室の待合室で母と朝まで待機をしました。いつ急変するかもわからない、成功するかもわからない・・・・過酷な数時間でした。僕は一人っ子ですが、こういう時に兄弟や家族がもっと沢山いると励みになるなと思いました。

朝になるとお医者様がいらして、大きな急変もなく手術は成功。あと5時間程で麻酔から目が覚めることを祈ります。と仰られました。この父がまだ眠っている状態で、ここで一度顔を見るだけの面会。時間が経って、麻酔から起きるはずの時間をゆうに過ぎても意識が戻らず心配しましたが、手術が始まって14時間でようやく目を覚まし、会話が出来ました。心臓を一時的に止め、今回は致命的な心臓付近のみの手術であくまで救命措置でしたが、術後しっかりと自分の心臓を動かし、全て順調に終えることが出来ました。

そのまま3~4日は24時間体制の集中治療室に入院し続け、クリスマスの日に一般病棟(病状や医療機器の関係上、個室へ隔離しなければならなかったようです。)へ移ることが出来ました。ということで、イブもクリスマスも病室で強制的に両親と過ごしました!これは数年振り(笑)

ついこの間まで、夜は家族が付き沿わなくてはならず、病室での看病以外にも病院の手続きや区役所の色々な申請手続き、父の務めている大学に報告に行ったり、今後の父が出演する本番関係者への連絡など・・・・ほぼ自宅に帰れない時期がありました。(倒れた2日後も父は本番の予定でした。)

年末のある日、やはり父が急変し、もう自分はだめかもしれないと本人が初めて弱音を吐き、母から泣きながら病院に来て欲しいと電話がありました。急遽仕事の予定を変更させていただき、すぐに病院に駆けつけましたが、なんとか命は繋がりました。その後は安定し、今後も命の危険はあり細心の注意・治療が必要ですが、急変せず全て順調に進めば、早ければ2月前頃に退院出来るとのことです。もちろん伸びる可能性はありますが、今では立ち上がることもでき、自分で食事をすることも出来ます。

近い予定では今年の2月、3月に父はオペラとオペレッタに出演予定でしたが、残念ながら現実的には難しいと思われます。

本人も僕も、4月に予定している2代テノールコンサートが、
『復活コンサート』に出来たら、と意気込んでいます。

MARIO CAPRICCIO

田代 誠 & 田代 万里生
2代テノールジョイントコンサート2009

公演詳細はこちら

これから大変な闘病生活が続きますが、
本人の生命力は日に日に上がっています。

また皆さまの前で元気に歌えることを祈って・・・・・

今後ともよろしくお願い致します。

2009.1.3

田代万里生


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