奇跡のコース

ワークブック 78回目です。

 

   パート1*レッスン78

 

 

私が下す決断のひとつひとつは

不満か奇跡のどちらかである

ということが

 

私にはまだ完全には

明確でないかもしれません。

 

 

不満のひとつひとつは

憎しみの黒い盾のように

 

奇跡の前に立って

奇跡を隠します。

 

 

そして

私が私の目の前で

その盾を高く掲げるとき

 

その向こうにある奇跡は

私には見えません。

 

 

しかしながら

その間もずっと奇跡は光の中で

私を待っています。

 

 

にもかかわらず

私は奇跡の代わりに

不満をじっと見ているのです。

 

 

今日、私たちは不満を乗り越えて

不満の代わりに奇跡を見ます。

 

 

私たちは憎しみの盾の前で

待つことはせず

 

その盾を置いて

沈黙の中でそっと目を上げて

「神の子」を見ます。

 

 

「神の子」は私の不満の背後で

私を待っています。

 

 

そして

私が不満を取り下げるとき

 

不満のひとつひとつが

前に立っていた場所に

 

「神の子」が輝く光の中で

姿を現すでしょう。

 

 

「神の子」は光の中に立っていますが

私は暗闇の中にいました。

 

 

不満のひとつひとつが

その闇を深いものにし

私は見ることができなかったのです。

 

 

今日、私たちは

「神の子」を見ることを試みます。


 

自分の不満を

見ないようにします。

 

 

怖れを離れて

真実のほうを見るとき

世界の見方も逆転します。

 

 

私が不満の標的として選んだ人を

その人に対する不満を脇に置いて

見てみることにします。

 

 

私が恐れている誰か

 

憎んでいる誰か

 

私は愛していると思っているけれど

私を怒らせた誰か

 

友だちと呼んでいるけれど

時として難しい人だと感じ

 

要求が多いと思い

イライラさせる人だと感じ

 

私がその人のために

設定した役割からすると

 

その人が受け容れるべき

理想に対して不実である誰か

 

かもしれません。

 

 

私は選ぶべき人を知っています。

 

 

その人こそが

「神の子」であるということが

示されるべき人です。

 

 

敵であった人が解放されて

「聖霊」によって課された

神聖な役割を引き受けるとき

その人は友だち以上の存在になります。

 

 

今日、その人を

私の救い主にします。

 

 

私の「父なる神」の計画においては

それがその人の役割なのです。

 

 

私が救われるようにと

「神」が「聖霊」に与えられた役割を

「聖霊」がその人を通して

表現することを許します。

 

 

出会うひとりひとりの人に対して

過去との関係で思ったり

思い出したりする人たちに対して

 

私がその役割を共有できるように

救い主の役割が与えられることを

許します。

 

 

 

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今日もお読みいただき

ありがとうございました✧˖°