奇跡のコース

ワークブック 55回目です。

 

   パート1*レッスン55

 

今回はレッスン21〜25までを

振り返ってみます。

 

 

21)私は物事を違った目で見ることを決意しています。

 

私がいま見ているものは

病、惨事、死のしるしだけです。

 

 

これが愛する「子」のために

「神」が創造されたもので

あるはずがありません。

 

 

私がそのようなものを

見ているという事実そのものが

 

私は「神」を理解していない

という証拠です。

 

 

したがって

私は「神の子」も理解していません。

 

 

私が見ているものは

「私は自分が誰であるかを知らない」

ということを教えてくれます。

 

 

私は、私自身についての

「幻想」を見ることよりも

 

私の中にある「真実」を

見る決意をします。

 

 

 

22)私が見ているのは、復讐の1つの形です。

 

私が見ている世界は

愛に満ちた思いの表れであると

言えるものではありません。

 

 

私が見ている世界は

あらゆるものが

あらゆるものを

攻撃している図です。

 

 

それは「神の愛」

そして「神の子の愛」の反映とは

ほど遠いものです。

 

 

この図の原因となっているのは

私自身の「攻撃の思い」です。

 

 

私の「愛に満ちた思い」が

世界についてのこの知覚から

私を救い

 

私が持つようにと

「神」が意図された安らぎを

与えてくれます。

 

 

 

23)私は攻撃の思いを放棄することによって、私が見ているこの世界から脱出することができます。

 

ここに「救い」があります。

 

 

これ以外の場所に

救いはありません。

 

 

「攻撃の思い」を

持っていなければ

 

「攻撃の世界」を

見ることはありません。

 

 

赦しによって「愛」が

私の自覚に戻ってくるにつれて

 

私は安らぎと安全と喜びの世界を

見ることになります。

 

 

そして

いま見ているものの代わりに

これを見ることを

 

私は選択します。

 

 

 

24)私は、私自身にとっての最善の利益を知覚していません。

 

「私が誰であるか」を知らないのに

私自身にとっての

最善の利益に気づくことが

どうして可能でしょうか。

 

 

私の最善の利益であると

私が思うことは

 

ただ私を幻想の世界に

さらに縛りつけるだけです。

 

 

私だけの力では

私自身にとっての最善の利益を

知覚できないことを認識して

 

それが何であるかを

発見するために

 

「神」が私に与えてくださった

「ガイド」の後についていく気持ちが

私にはあります。

 

 

 

25)私は、どのようなものであれ、それが何のためにあるのかを知りません。

 

私にとって

あらゆるものの目的は

 

私自身についての幻想が

実在的であることを

証明することにあります。

 

 

まさにこの目的のために

私はすべての人を

 

そして

すべてのものを

利用しようとします。

 

 

そのためにこの世界はあると

私は信じてきました。

 

 

したがって

私はこの世界の実在的な目的を

認識していません。

 

 

私がこの世界に与えた目的は

この世界についての

おそろしい図につながるものでした。

 

 

この世界に

私が与えた目的を撤回し

 

この世界についての真実を

学ぶことによって

 

この世界の

実在的な目的に対して

 

私のマインドを

開かせてください。

 

 

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今日もお読みいただき

ありがとうございました✧˖°