奇跡のコース

ワークブック 36日目です。

 

   パート1*レッスン36

 

 

 

今日の考えは

知覚する人から

知覚されるものに延長します。

 

 

わたしのマインドは

「神のマインド」の一部であるがゆえに

わたしは神聖です。

 

 

そして

わたしは神聖であるがゆえに

わたしの視力もまた、神聖です。

 

 

わたしの視力は

「神の神聖性」と

つながっているのであって

 

エゴにつながっているのでは

ありません。

 

 

したがって

わたしの肉体にも

つながってはいません。

 

 

私たちは「神」によって

つくられたがゆえに

 

そこには「神の意志」が宿っていて

マインドも「私のマインド」ではなく

「神のマインド」の一部です。

 

 

「自我」の部分だけが

「私」という個人の存在を主張するために

「幻想」を生み出しています。

 

 

もともと私たちには

「神聖なマインド」が宿っているのです。

 

 

そして

その「神聖なマインド」は

 

私たちが「見る」ものすべてに

投影されるものであり

 

本来、私たちには

「神聖なる世界」が

見えているはずなのです。

 

 

ですが今まで

「私」として「個人」として

生きてきた私たちは

 

「個人的な信念」を投影した

「幻想」を見続けてしまっているんですね。

 

 

今回のレッスンは

私たちは今この瞬間に

 

「神聖なるビジョン」を

見ることができるのであり

 

その「神聖なるビジョン」の中では

私たちは全くの「無罪」であって

 

自分の生き方、自分という存在に

何の「罪悪感」を感じる必要もない

 

ということに

気づくために行います。

 

 

私の神聖性はあの壁を包み込みます。

私の神聖性はこれらの指を包み込みます。

私の神聖性はあの椅子を包み込みます。

私の神聖性はあの体を包み込みます。

私の神聖性はこのペンを包み込みます。

 

 

いま目に見えているものすべてが

「神聖」なものとして

存在していることに気づき

 

すべての対象に

わたしの「罪悪感」を

重ねるのをやめていきます。

 

 

誰も、なにも、

わたしを責めてなどいません。

 

 

わたしは本来

愛に包まれて生きている

 

 

そのことを

少しずつ思い出していきましょう。