柚コロの雑記帳

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チラ裏長文用。ブログではない。

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去年の暮れに書いたメイドカフェについて、もう少し詳しく語ろうという気持ちになった。


初めてのご帰宅のだいぶ前から、K先輩にシャルの話を耳にタコができるほど聞かされており、また執拗に誘われてもいた。ただコンカフェという文化に馴染める気は全くしなかったし、試しに行ってみようという気すらてんで起きなかった。


ところがある日、都内で研修があってちょうど帰り道ということでふと存在を思い出し、なんとなく行ってみようかなという気持ちになった。ツイッターでネタにできる類の事象に飛び込んでみたくなる、発作みたいなものだった。しかも今日ならK先輩に連れて行ってもらえると来た。またとないチャンス。


それが2019年2月18日の初ご帰宅。当時既に卒業が発表されていたアスカさんとつばきさんが揃う日とあって、店内は大賑わい。例のメニュー紹介でせっかく勧めてくれた初めてセットを「2ショットが撮りたいから」と全力でスルーし、スペシャルセットをオーダーするなど、いっちょまえに通ぶる。


誰と撮るかは後で伝えます、と言ったものの、実は心は決まっていた。唯一初ご帰宅前からツイッターで知っていて、お会いしたいと思っていたつばきさん。すぐに卒業してしまったのでお話する機会は多くはなかったが、密かに憧れていた存在だった。今ではその頃抱いていたイメージは(主に蒲田出身の方々によって)ほとんど崩壊しかけているが、それはまた別の話。


そんな僕の秘めたる想いとは裏腹に、つばきさんはシンデレラ。お給仕の時間が分かっているのでオリカクの駆け込み需要も多く、写真など頼めそうになかった。全然通ぶれていない。なるほど、そういう感じね、という混乱の中で僕は、メニュー説明の後で少しお話もして、好印象を持っていたメイドさんを2ショットの相手に選んだ。これが、その後の僕の1年間を支配した、奏さんというメイドさんとの、初めての2ショットだった。


翌日、今度は1人で、平塚の職場から綱島に赴いた。前日のご帰宅がなんだかんだで楽しかったのもあったが、しれっと1人で行ってたらK先輩が面白がるだろうなというのが動機のほとんどを占めていた。この日は比較的ゆっくり話せる日で、特に昨日の今日ということで覚えてくれていた奏さんとはデレステのことで話が弾んだ。その後、今に至るまで僕のアフター5の在り方を左右したのは、どちらかというとこの2回目の、半ばウケ狙いのご帰宅だったかもしれない。


それからのご帰宅は、(Tくんの前では霞むが)年内だけで実に100回以上を数えた。死に物狂いで仕事を片付けて22:30に滑り込んだ日もあれば、オープンからクローズまで居座った日もあった。越後湯沢でオープンツイートを見て、新幹線で飛んできたら入れ違いでシンデレラだった回。浴衣2ショ撮ろうと思って甚平を用意したら、イベント中にお給仕がなかった回。散々リクエストしていた眼鏡イベントの告知を、前日にフランスで見た回。全然お給仕がなくて、同期のメイドさんに愚痴りに行った回。


もとい。


新参ながら一念発起してご主人様方を巻き込んだ初めてのBDイベ。 自分からアピールをしようと意気込んで行ったら、だいぶ前に一度話したきりの日付を覚えていてくれて気が動転した自分の誕生日。ご主人様が僕1人だけになって、「なんか悪いことしてるみたい」と言っていた回。盟友と、そのオタクの先輩のためにひと肌脱いだこまち卒業式。BDの時に書いた手紙の返事を急に渡されて、やっぱり気が動転した年の瀬の回。


いつまでも、とは言わないまでも、しばらくはこんな幸せな時間が続く。そのことに疑いの余地はなかった。あの日までは。


年が明け、山陰旅行の帰り道で閉店の報せを受けてからの僕は、まるで自分自身に予防線を張るかのごとく悲観的だった。移転は厳しいだろう。卒業式ができないのは辛い。最後に何かしてあげられることはないか。そんなことばかり考えていた。移転を知って最初に思ったのも、「これで少なくとも卒業式はできる」ということだった。もし一緒に蒲田に移ることができないとしても、シャルロッテが続くのであれば、送り出すための時間はきっと取ってもらえる、と思った。


それらの悲観が全て杞憂となった時、僕の世界は元通りになった。なってしまったと言うべきか。この幸せな時間が続くのであれば、場所なんてどこだっていい。2週間の空白など、全てが終わることと比べれば屁でもない(とか言って今すでにしんどいけど)。そうして、横浜店という大切な場所が失われる事実は、いつのまにか隅っこに追いやられてしまっていた。


それがどんなに重大なことか、気づかせてくれたのが卒業式だった。特にハッとしたのは、ゆきんこさんの「ここで卒業したかった」という言葉だった。過ごした時間の差こそあれ、皆それぞれにこの街への思い入れがある。アプレシオ綱島店の、お世辞にも広いとは言えないあの一角への思い入れがある。それは自分とて例外ではないはずだった。


気づいた時にはもう、時間は残されていなかった。正直、ご主人様みんなからあの空間へ、横浜店という存在への感謝を形にして示すようなことがしたかった。メイドさんからしてみれば、あの2日間にご帰宅してくれただけでも十分だったのかもしれないけれど、もっと何かできたんじゃないかという気持ちは拭えなかった。


遅きに失した自分自身への戒めと、移転の重大さ、距離の持つ重みを感じたくて、最終営業が終わった後、蒲田店の跡地まで歩いた。初ご帰宅前に綱島がそうだったように、蒲田という街にも今まであまり縁がなかったけれど、街の表情は綱島とはまるで違っていた。


とは言えこの街にはつい1年半前までシャルロッテがあったわけで、その証もちゃんと残っていた(知っていても普通に看板が出ていると驚く)。その時代を知るメイドさんもご主人様方もいる。僕が保証できることなんて何もないけれど、移転もその先のお給仕も、きっとどうにかなるはず。そう信じて、2月2日を待つのみ。


綱島での思い出と今の想いをこうして書き記すことが、せめてもの弔いになればこれ幸い。書くのも読むのも、ご帰宅できない間のちょっとした暇つぶしにもなるし、流行らないかな、なんて。


...明日も仕事なのに4時まで書いていて暇つぶしとは、如何に。